「好き」の理由。

好きなチームにはそれぞれ、好きになったきっかけが存在します。
好きになった時期も理由も様々ですが、それぞれのチームと私との「なれそめ」を紹介しておきます。


鹿児島実業〜真夏のカジツ〜

ここは、私が野球を見るようになって一番最初に好きになったチームです。
最初に野球を見たのは1990年夏。夏休みに、祖父や父が見ている高校野球中継を隣で眺めていました。
その時に甲子園を湧かせていたのが、内之倉隆志選手(鹿実−福岡ダイエーホークス。2002年現役引退)のいる鹿実でした。
スラッガーとして騒がれていた内之倉選手ももちろん好きだったのですが、私の心に残ったのは主将の宮下選手。
1番打者だった彼は、2回戦でなんと初回先頭打者ホームランを打ったのです。
試合開始を告げるサイレンが鳴り止まぬ中、空を切り裂いて飛んでいくボール。
子供心にも、なんだかすごいことが起きたのだと思って胸が躍りました。

その年の鹿実はベスト8で敗退。しかし翌年、チームは再び春夏と連続で甲子園に戻ってきました。
91年の春はあまり試合の記憶がなく、覚えているのは俣瀬選手が骨折して心配だったことだけ。
そして、夏。私を野球へのめり込ませるきっかけとなる、夏の甲子園第73回大会が始まりました。

この年はいわゆる「当たり年」。いい選手やチームも多く、後々にも伝えられるような好ゲームもあり、とても記憶に残る大会でした。
鹿実は2回戦から登場。旭川工を破って初戦突破すると、3回戦で桐蔭学園、準々決勝は「ミラクル」市川。強敵を次々に倒していきました。

そして準決勝。相手は沖縄水産。
先発投手が打ちこまれ、早い回から差をつけられる。
いつもの「桜島打線」がこの日はなかなか火を吹かない。やきもきする展開。
7−3と4点ビハインドで迎えた8回裏、ようやく集中打で3点を挙げ、1点差に追い上げる。
9回裏、最後の攻撃。二死二、三塁と攻めて、一打同点、あるいは逆転のチャンス。
打席には途中からリリーフした背番号1・川畑投手。打球は鋭い金属音を残して、ライトへ――
悲鳴の中、白球はライトのグラブへ。ライトライナーでゲームセット。
7−6。1点差で、悲願の決勝進出はならなかった。

他人のやってる試合を見て、こんなにも負けて悔しいと思ったことは初めてでした。
試合終了の瞬間、三塁ベース上で頭を抱え、泣き崩れた味園捕手の姿。
最後の打球が飛んだときの記憶は、今でも昨日のことのように鮮明に思い出します。
悲鳴は、ブラウン管の中と外、両方から聞こえました。甲子園のスタンドにいた人々の叫びと、家のTV で見ていた私の声。
なぜだかそのときだけ外野の芝の緑がいつもよりくすんで見えて、試合後は言いようのない疲れに襲われました。
応援に燃え尽きて灰になったような、そうでないような。

準決勝の翌日が、学校の登校日でした。
朝、教室に行くと、クラスの女の子たちが皆集まって熱心に話をしています。
「何なに、何の話してるのー?」さっそく輪に加わると、盛り上がっていたのは昨日の甲子園の話でした。
どうやら皆、私と同じように準決勝を見てたらしいのです。「鹿実、最後惜しかったよねー」そんな声があちこちから聞こえます。
仰天したのは次の瞬間。
私が何気なく「鹿実の一番バッターの俣瀬くん、カッコよかった〜」とつぶやくと、
その場にいたクラスの女の子全員(20人)が全員声を揃えて「うん!」と言ったこと。
後にも先にも、こんなに皆の心が一つになった瞬間はありません(笑)

あえて今、俣瀬選手を「くん」付けで呼びましたが、当然この頃の鹿実ナインは私たちより年上です。
なぜか当時は「くん」付けで呼んでしまってたんだよなぁ〜。我ながら失礼な子供だ(爆)
年上のお兄さんたちが甲子園で活躍する姿にすっかり心を奪われた、91年の夏でした。

この鹿実にハマったのがきっかけで、それ以降高校野球をよく見るようになりました。
92年以降は鹿児島商工(94年、樟南に校名変更)が活躍し、一時期鹿実は目立たなかったのですが、96年に再び鹿実フィーバーが到来。
この年も甲子園に春夏連続出場で、春の選抜では初優勝☆
91年が打撃力中心のチームだったのに対し、96年は投手・守備力上位のチーム。
ピンチの場面でもマスク越しに笑顔を見せ、投手をリラックスさせた林川捕手が印象的でした。
でも、このチームはなぜか優勝した春より、夏の大会の方がより記憶に残っていて。
最後は準々決勝で松山商(その年の優勝校)に5−2で敗れましたが、粘りを見せた最終回の攻撃は今も覚えています。


あれから何年も経ちました。
2002年夏の大会を最後に、長年チームを率いてきた久保克之監督は監督を退きました(総監督兼部長に就任)。
しかし、アイボリーホワイトに漢字で「鹿実」のユニホームは今も健在です。
ここしばらく甲子園から遠ざかっていますが、また真夏に強い鹿実が見られる日を心待ちにしているところです。


※追記
2003年現在、91年の鹿実メンバーで今も野球を続けているのは4名。
味園博和捕手(専大−デュプロ)、俣瀬直樹外野手(大阪ガス)、西秀人捕手(東邦ガス。91年当時は内野手)内薗直樹投手(三菱重工長崎−巨人−西武。91年当時は2年生)。
96年メンバーで硬式野球を続けていることが確認できたのは3名。
下窪陽介投手(日大−日本通運。現在は外野手)、林川大希捕手(早大−三菱自動車岡崎)、新屋勝利外野手(JR九州。96年当時は2年生)。
また、90年度主将だった宮下正一内野手は卒業後NKKへ進み、そこでも主将を務めました。
2002年を最後にNKKは川崎製鉄水島との統合でJFE西日本となり、チームが消滅。それを機に現役を引退されました。


追記の追記。2003年シーズンをもって、林川大希捕手は現役を引退しました。今後は三菱自動車岡崎のコーチに就任し、後進の指導に当たるそうです。
また、宮下さんは現在、母校・鹿実でコーチとして指導をされています。


 ←甲子園での入場行進の写真。これは頂いたもの。
   写っているのは96年のメンバーです。
   縮小してありますが、実物はA4サイズ。














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