若葉の頃〜夏を過ぎて初めての秋へ〜

1.夏休み。夏合宿。FUJIYAMA。

大学生の夏休みは長い。
が、光陰矢の如しってやつで、なんだかんだしてるうちにあっという間に過ぎていくもの。
大学に入って初めての夏休みは、まさにそんな感じでした。

夏休みの間、実はちょっとヘコんでたりもしたんです。
初めてのスコバイでは練習したにも関わらずやっぱりポカをやってしまったし(先輩のNさんに迷惑かけたのがすごい申し訳なかった)、
内勤もわかんないことだらけで初歩的なことでつまづいてたし(PCがフリーズしたー!と一人で大騒ぎ)
やっとスコバイ終わって普通に見に行った都大会決勝では応援してたとこが信じられない負け方するし。
8月になって実家に帰省したはいいが、バイトが忙しくて泣きそうだったり
せっかく仲良くなったスポの友達が関東っ子ばかりで一人疎外感を味わってみたり(在京組が皆でオープン戦行ってて羨ましかった)。
「早く皆に会いたいなー」と思いながら実家にいました(笑)


9月の初め。うちのスポでは夏合宿をやります。
体育会でもないのに、何の合宿?と思われるかもしれないけど(笑)
目的は、スポーツ実技が4割、部員同士の結束力強化が5割、さらに今後のスポ運営についての討論が1割。
…要するに、昼間はバレーとかソフトボールとかのレクレーションやって、夜は飲み会をして親睦を深めて、
でもってついでに今後の活動についてミーティングでもしちゃう?ってことです(笑)
もちろんミーティングのときは真剣にやるのですが、「別に合宿行かなくても普通に都内でミーティングしたらええやん」って言われると身もフタもありません。
大学のサークルってのは、どこもたいてい合宿が好きだということで勘弁して下さい。

合宿先は河口湖でした。初めての富士五湖!
初日は宿に到着した後自由行動。富士急ハイランドが近かったので、1女で連れ立って行ってみました。
富士急ハイランドと言えば…そう、ジェットコースター「FUJIYAMA」。ギネスブック認定のジェットコースターとは一体どのようなものなのか…
とりあえず、料金からして「そりゃギネス級だわ」って感じ。高いのねー。
で、皆でワイワイ言いながら並んで乗ったんですが。
乗り場のところに下駄箱みたいな棚があって、何かと思ったら「途中で落ちる危険のあるもの(帽子など)はお預け下さい」。
ディズニーランドとかではそんなの見たことなかったんでちょっと驚きました。
そしていよいよFUJIYAMAに乗り込み、いざ行かん、未知の世界へ…

…ギネス級でした。
すごいスピード!すごいスリル!怖かった!でも面白かった!
絶叫マシーンが好きで、いつかバンジージャンプやスカイダイビングをやってみたいと思っている女です。
が、「楽しかった〜♪」とか言ってる私のそばで「もういい!もう絶対乗らない!」と言っていたのは確かT。
ジェットコースターって急降下と上昇とを繰り返すじゃないですか。
さんざん急降下で怖い思いをして、上り曲線で一旦小休止したとき、私の後ろでTが「もうやめて〜 」と悲痛な叫び声を上げていた気がします。
ギネス級のスリルを味わい、この後しばらく1女の間で「FUJIYAMA」は流行語となりました。
ちなみに私たちがFUJIYAMAで絶叫していた頃、3年生の方々はレンタカーでドライブに出掛け、途中で
車が横転して大変な目に遭ったそうです。
こちらもまた別の意味で恐怖体験。。。


合宿でのミーティングは、全体ミーティングと班別ミーティングがあります。
全体ってのは、文字通りスポ全体に関する話し合い。1年生は新しく小口広告の担当を割り振られました。
1年間、自分の担当のお店を定期的に回って広告掲載のお願いをしていきます。
班別ミーティングでは野球班とラグビー班に分かれてそれぞれ秋以降の計画を話し合います。
野球班の場合は、新聞記事スクラップの担当を決めたり、秋に1年生だけで組む企画記事の準備を始めたり、
また、滅多にないけど、必要に応じて番記者を決め直す場合も。
これから秋が深まるにつれて、各班では新聞作りのためのミーティングが繰り返されます。
合宿はそんなミーティングラッシュのほんの前哨戦みたいなもの。


合宿から帰ってきたと思ったらすぐにまた召集がかけられました。
学生会館の一室を借りて、開幕直前の野球班ミーティング。
リーグ戦中の集合時間・場所の確認、チケット代の事前徴収、1年生の企画記事のテーマを決めてプロジェクト発進…など。
本当に開幕の数日前に開かれるので、私たちにとってはこれが毎シーズン開幕を告げる合図でもあります。


2.真知子巻き@二階席

9月、いよいよ大学野球の秋季リーグ開幕です。
野球班は試合開始時間の30分前に球場の正門に集合します。
球場に持って行くものは、スコアブック、取材ノートと筆記用具、写真を撮る人はカメラとフィルム。
昼食は各自で用意。近くのコンビニで買ってくる人もいれば、球場の売店で熱々のうどんやカレー、カルビ丼などを食べる人も(特に男性陣)。

で、大学野球取材で実は何より大切なものが「防寒グッズ」。
5月に私が初めて二階席で観戦したときの話、覚えてます?
気候があたたかくなってくるはずの
5月に凍死しそうな思いをしました。秋になったらもっとあの場所は寒いでしょう。
もう二度とあんな目には遭わない!と固く誓った私は野球班の他の子にも教えて回りました。
「二階席は寒いよ〜。5月なのに4年生のKさんはひざ掛け持って来てたもん!防寒対策してった方がいいよ!」
そしてもちろん自分も準備にぬかりはありません。
かさばるけど、カバンにストールを詰めて行きました。
9月中旬にストール。正直、自分でも「ちょっとやりすぎかな?」と思いました。
しかしそれは全然全くこれっぽっちもやりすぎではなく、むしろそれでも足りなかったくらい…。
リーグ戦開幕当日の天気はくもり。夕方に近付くごとに空はだんだん暗くなり、気温もどんどん下がっていきました。
とても9月中旬とは思えぬ重装備も二階席では全く無力。寒い。死にそうに寒い。
私はひざ掛けにしようと思って持って行ったストールを思いっきり頭からかぶってスコアつけていました(←怪しい)
いわゆる一つの
真知子巻きです。
真知子巻きってのはあれです、昔の名作ドラマ「君の名は」の主人公真知子が劇中でやっていて流行したスタイル。わからなかったら検索して下さいね。
まさか9月にそんな思いをするとは思いませんでした。準備していったにも関わらず、完敗です。恐るべし二階席。
それからも、結局スポ引退までずっと二階席の寒さとの格闘は続きました。

さて、試合の方ですが、我が大学は開幕戦からシビアな戦いを繰り広げました。
2−1とリードされ、9回裏、最後の攻撃も一死走者なし。ああ、記念すべき開幕の日は黒星スタートか…?
そんな思いを、四番として打席に入った主将の一振りが吹き飛ばしてくれました。初球を左中間へ、貴重な同点ホームラン!!
寒さも忘れるくらい喜びました。そして試合は延長戦へ突入。
そして10回裏、一死一、三塁のチャンスをつかみます。ここで代走が告げられ、背番号16、俊足の1年生Nくんが三塁ベースに向かいました。
打席には代打の4年生Mさん。初球で一塁走者が盗塁を決めプレッシャーをかけます。
カウント2−2からの5球目。打球はセンターへ。犠牲フライになるか?三塁走者、タッチアップ!
バックホームでいい球が返ってきて、ランナーのNくんと、タッチに来た捕手のミットがベース上でクロスする。
Nくんの足が一瞬早くベースを踏んだのが見えた――そう思った瞬間、審判の手も横に広げられました。セーフ!!
それまで抑えていたつもりでしたが、この瞬間は絶対大きな歓声を上げていたと思います。
3x−2。延長10回、劇的なサヨナラ勝ちで我が大学は開幕戦白星スタートを切りました。
母校の勝利をこんなに嬉しく感じたのはこのときが初めてでした。(春は終盤3連敗で終わってたので…)
苦しい勝ち方だったけど、これで勢いがついて、きっといける!そう思っていました。

思えば、野球を見ていてサヨナラ勝ちでこんなに興奮したのもこのときが初めてだったんだと思います。
最後の場面、わずかにNくんの足が勝りましたが、相手のバックホームは本当にいい球が返って来ました。
Nくんのスタートが良く、思い切って突っ込んだ分セーフになったと思います。彼の好走塁でした。
あれから何年も経ちましたが、Nくんがホームへ滑りこんだ瞬間のことは今も鮮明に脳裏に焼きついています。


3.緊張の取材通路

初めて取材をしたのは6月、合気道の大会でした。
8月にはバドミントン部を追いかけて福島まで遠征。(この辺りのことはいずれ「取材こぼれバナシ」で触れるつもりです)
秋は各部、試合が目白押し。週末は特に各競技の試合が重なって、皆それぞれどの取材に行くべきか苦悩していました。

野球取材のとき、我がスポでは番記者制をとっています。
番記者は、シーズン通して基本的にずっと同じ選手の取材を担当します。
この制度のメリットは、長い期間見ていくことでその選手の特徴・持ち味などをしっかり把握できること。
そして選手とある程度顔なじみになることでより充実した話を引き出せるであろうということ。
もちろんデメリットもあります。まず、担当が長く固定されることで視点がマンネリ化する危険がある(爆)
それから、他に取材してみたい人がいてもなかなかそれが叶わないということ。
しかし、この番記者制はある程度スポの人数がいないとできない制度です。取り入れたいが人数不足でできない、という大学も多々あります。
番記者制に憧れる他大学の子たちの話を聞いていると、「他にも取材したい人がいる」なんて考えは欲張りだなと思います。

番記者がいるのは、いわゆるレギュラーの選手たち(スタメン9人+1・2戦の先発投手)、それに監督の12人。
野球班は大所帯なので、人数の都合で当然番記者になれない人も出てきます。
そういった人たちは「遊軍」として、番記者が誰か欠席のときはその代理をしたり、途中出場で活躍した選手や中継ぎで登板した投手などの取材に行きます。
1年生はもちろん遊軍からスタート。最初から固定せず、色々なタイプの選手に話を聞くことで、取材能力を高める練習にもなります。

遊軍は、チーフの指示で取材に行く選手が決まります。チーフはいろいろ考えて取材配分してます。
特に1年生には、取材に行く機会が平等になるように気を配らなきゃいけない。
当時は2年の先輩でもまだ遊軍の人が多く、私が最初に野球の取材をさせてもらったのは開幕から3試合目のことでした。
記念すべき神宮初取材の相手は、1学年上の某内野手。
試合中からどんな質問をしようか考えてたけど、いざ試合が終わって取材のために下へ降りるともうそれどころじゃなくなって。

まず、相手の顔がちゃんとわかるかどうかが不安でした。名鑑で確認していても、写真が100%当てになるとも限りません。
背番号で探そうにも、寒い日はウインドブレーカーを着ているかもしれないし、持ってる荷物で背中が隠れて見えない場合もあります。
背中で探しててやっと見つけたと思ったらもうその選手は遠くへ行ってしまっていた…なんてなったら悲惨だし。
初対面の人に声をかける緊張と、見つけ損ねたらどうしよう…というプレッシャー。
そして、一生懸命考えたけど、取材ってこんな質問でいいのかな?という心配。
通路で待っている間、不安でひざが震えていました。今思えば懐かしい感覚です。


4.30行のジレンマ

取材の次は、記事です。
1年生は、担当班によっては早くも7月に記事を書く子が出てきます。
周りにも何人かそういう子がいましたが、私は先輩に取材した選手のコメントを渡すだけで記事デビューはまだでした。

秋のリーグ戦が始まると、野球班の1年生には毎週、試合の戦評を書いて提出することが義務付けられました。
戦評とは、単純に試合の得点経過だけを追っていった短い記事。
チーフが書いた「戦評の書き方」プリントを参考に、1カードを15行(スポでいう15行とは、1行が14文字【当時】です)でまとめる練習をしました。
観戦できなかった日のスコアは1年生同士で互いに貸し借りし合って入手。
授業中、後ろの方の席に座ってこっそりスコアブックを広げ、戦評書きにいそしんでいたこともあります(笑)
ハッキリ言って、私は戦評を書くのが下手でした。
チーフのプリントにも書いてあったんですが、戦評に余計な説明はいりません。が、私が書くと余計な言葉が入ってしまいがちになるんです。
簡潔に書けと言われてるのに、どうしても事細かに説明したがる。
毎回一生懸命書いて提出してたけど、チーフは読んでいつも「…だめだこりゃ」と思っていたことでしょう。
そんな私にも、初めての記事を書く機会がやってきました。それも、少し意外な形で。

野球特集号に載せる記事について、野球班でミーティングをしたときのこと。
目立つ活躍をしている選手は記事にも長い行数が割かれ、その選手の番記者が執筆を担当します。
それ以外に、雑感と呼ばれる20行前後の短い記事や、試合に出ている選手たちそれぞれの短い紹介文も載せます。
さらにチーフの提案で「次の試合の見どころとして、小さなスポットコーナーを設けよう」ということが決まりました。
コーナーでは4年生の選手を2組取り上げることに。1組は、主軸につなぐ一、二番コンビ。
そしてもう1組は、同じ高校出身の4人の選手たち。

4人は大学の系列校出身で、高校時代、甲子園へあと一歩というところまで勝ち進みました。
結局甲子園へは行けませんでしたが、そのときの悔しさを胸に、大量8人が大学でも野球部の門を叩きました。
高校時代から7年間一緒にやってきて迎える最後の秋。
8人を代表して、ベンチ入りしている4人にスポットを当てた記事を1本書こうというものでした。
「誰か、これ書きたい人いる?」とチーフが言いました。
が、一同シーン…。
上級生は「せっかくだから1年生にも記事を書かせてあげよう」と思って譲ってくれたようなんですが、
1年は1年で皆遠慮しているのか、誰も手を挙げません。
気まずい沈黙がしばらく続き、「誰か手挙げろよ…」という雰囲気になってきました。
それでも誰も手を挙げないので、辺りをキョロキョロ見回してから、恐る恐る私が手を挙げたのでした。
気持ちとしては、「初めて携わる野球号だし、記事を書いてみたかった」というのが半分、「誰かが手を挙げなきゃいけない」と思ったのが半分ってとこ。

与えられた記事の長さは30行。
当初、「取材ナシで書いて」と言われたのですが(!)
何しろ彼らのことはスポに入って初めて知ったばかり。高校時代のことも何一つわかりません。
いくらなんでもその状態で書くのは無理だ〜〜!!と思い、チーフに頼み込んでなんとか取材の機会を作ってもらいました。
この取材がまた、ある意味ハチャメチャなことになったのですが…(詳細はまた今度)


こうして書くことになった初めての記事ですが、これには今も悔しい思い出が残っています。
先に言い訳をさせてもらうと、彼らの高校時代のこと、大学で同期が8人も入部したこと、4人の現状、そして一緒にプレーする最後の秋だということ…
それらの全てを30行に収めるのは無理があります。
けど、無理でもそれをやらなきゃ、記事として世には出ないんです。

取材慣れしていない1年坊の私をからかいつつも、色々なことを話してくれた4年生の4人の選手。
高校からの7年…人によっては中学から一緒だったからもう10年の付き合いだそうです。
「私が書きます」と手を挙げたからには、書かなきゃいけない。
彼らが話してくれたこと、そして話さなかったけど心の中に持っているであろう思い。うまく伝えたい。

何枚も何枚も書き直して、ようやくできた原稿をチーフに渡しました。
けれど、「うーん…書き出しがなんかちょっとイマイチなんだよね…」
と、書き出しのもたつきを指摘され「最初の方だけもうちょっと練り直してみてくれる?」と返されました。
問題があると言われたのは、最初の段落の最初の一文。しかし、そこまでわかっていながら、その一文がうまく書けません。
行数が30行と少ないので、直す部分が下手に長いと後ろも削らないといけなくなります。
指摘された最初の部分以外、特に最後の段落は、私としても譲れない部分でした。
「最後は絶対こういう文の締め方でいきたい!」と思っていたから、そこに手を加えたくなかったのです。
けど、後半を削らずにうまく最初の一文を書くことが出来ない。私はどうしてこんなに文章が下手なんだろうと思いました。
行数に合う、それでいてうまい言葉が見当たらない。
書き直しても書き直してもうまくいきません。
結局、締め切りをギリギリまで引き延ばしてもらってようやく出した記事も、とても納得のいくものではありません。
書き上がって渡したんじゃなく、タイムオーバーで出さざるを得ない状態でした。

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