一歩前へ〜任されるということ〜

1.はじめての面担

さてさて、一番最初にも書いたのですが、新聞作りは印刷工程以外は自分たちの手で行っています。
事前に編集会議などを行い、各部の記事配分を決めた上で入稿。6日間の入稿作業を経て新聞を作っていきます。
紙面のレイアウトをするのを「面担」と言い、レイアウトをする人は「面担者」と呼ばれます。
1つの面につき面担者は基本的に一人。初めて面担をする下級生には「サブ担」と呼ばれる上級生がついて指導します。
秋になると、1年生もぼちぼちこの「面担」を経験し始めるのです。

秋も深まった頃、私も初めての面担をやることになりました。
6月に一度、勉強を兼ねて先輩の入稿作業の手伝いをしたことはあったのですが、ついに自分でもレイアウトをやる日が来たのです。
サブ担をやってもらう先輩Nさんに部室で事前指導を受け、必要な物を学校の生協で揃え、翌日から緊張の初面担がスタートしました。

入稿の流れってのは、だいたいこんな感じです。
・面に載せる原稿を読んで誤字・脱字などをチェック。小見出しもつけてゲラ(記事を紙面に載せられる体裁に整えたもの)にする。
・紙面のレイアウト構想を練る。写真のコピーなども使いながら、レイアウト専用の用紙に下書き(これを荒割りと言う)
・行数・文字数などを計算して、写真のサイズなども決め、荒割りをより正確に(完成時に近い形に)していく。
・記事や写真に合う地紋(見出し文句みたいなもの)を考えて決める。
・記事・写真・地紋などを実際にコンピューター画面上で組み合わせて紙面の形にする。これが大組み作業。
・大ゲラ(大組みをプリントアウトしたものと考えてもらえればOK)を見て全体のバランスを直していく。
・ひたすら文章などに間違いがないか校正作業を何度も繰り返し、間違いがなくなったら責了
・全ての面が責了後、刷り出し。試し刷りを確認して本刷りへ
刷りあがった新聞は夜遅くにトラックor手運びで部室へ運び込まれ(ほとんどの場合はトラック)、
定期購読者の分はその日のうちに封筒へ詰めて翌朝郵送。そして残りは学内で配布するわけです。

先輩Nさんはとてもしっかりした人で、面担の時に使うノートにも、Nさんが初めて面担したときに学んだことが色々と書きこんでありました。
入稿中、そのノートをNさんは「参考になれば」と貸してくれました。
参考どころか、そのノートとNさんの直接指導だけを頼りにやってましたからね私。
特にスペース計算(新聞作りは「cm」や「mm」でなく、「倍」「u」という独自の単位が出てくるので計算がややこしいです)や
写真のトリミング方法などはそのノートがかなり役に立ちました。
降版日(新聞が出来上がる日)の最後に、ノートの一部をコピーさせてもらい、それを見て、後で自分のノートにも重要な部分を写しておきました。
以後の面担の際は、わからないことがある度にそのページを見て復習しながらやっていたわけです。

初めて自分がレイアウトした…と言っても、実際は周りから助けてもらった部分の方が圧倒的に多いです。
もちろん最初だからそれは当たり前なんだろうけど、私は特に、周りに依存していたところが大きかったと思います。
今だから言える話、スポに入って最初の頃の私ってのは何もかもすごく受動的な姿勢でした。
以前書きましたが、一度「やーめた」と思ったスポに結局入ることになったのは、その場の流れから。
初めて記事を書いたときも「他にやる人がいないから手を挙げた」ところがありました。
そして今回の面担も、実は他にやりたいという子がいなくて、じゃあ私が…という感じで決まったのです。
うちの代が人数少なかったからいいようなものの、人数の多い代なら、まず私のような消極的な姿勢の子に仕事は回って来ないでしょう。
同期の中にはスポの活動に熱心な子もいて、そういう子たちを見てると焦る…というか。
先輩や周りの目ってのも気にしてましたね。
「○○はあんなにスポ活動に熱心で積極的なのに、カヨはやる気が感じられないよねー」って思われるのが怖かった。
実際、やる気なかったといえばまぁそうなのかもしれないけど(笑)
いや、そう言ってしまうのも語弊があるなぁ…うーん。
突きつめてしまえば人間誰しもそうなんでしょうが、当時の私は「自分の好きなことだけをやっていたかった」んです。
例えば、野球の試合を見に行って、選手に取材ができて、それを記事にして紙面に自分の書いた文章が載ればそれだけでよかった。
それ以外のイヤなこと・面倒くさいこと・自信のないことはできればやりたくない。そんな風に考えてました。
あー、ついに言っちゃった。もう昔の話なんで許してね関係者の皆さん。

スポは、実際入ってみると傍から見てるよりずっと「面倒くさい」ところでした。
この表現に悪意はありません。それが現実だと思うから。
一番最初に書いたと思いますが、小学校で作る「学級新聞」とは訳が違います。
取材も部や相手によってはきちんとした取材申請が必要だし、広告をもらって運営している以上きちんとしたものを作る義務がある。
完全なるプロじゃない、趣味の団体ではあるけど、年齢的にはもう大人とみなされる大学生。それが当然と言えば当然かもしれません。
活動内容も、それに付随するものも、全て含めて色々と面倒なことが多いです。
けど、その面倒くさいプロセスを経ないと新聞が作れない、スポとして成り立たないんだということもまた事実。
そんなことを気付いているのかいないのか…当時はまだそこまで考えてなかった気がするなぁ。
1年生だった私は、結局「周りから悪く思われたくない」自己保身の気持ちで、なんとか「それなりに熱心」なふりをして周りについて行ってたのです。

そんな不届きな態度で臨んだ初面担。
Nさんに迷惑をかけないようにと思いつつも、やっぱり頼ってしまってる自分がいました。
「まだ1年だし、初面担だし、できなくてもきっと誰かがなんとかしてくれる…」本当にダメな奴です。
けれど主体性がないながらも、その場のノリと勘、ひらめき(と、大多数のNさんの助け)をもとになんとか紙面は形になりました。
降版日の午後。私の面の作業はほぼ終わり、どうにか一段落ついたときのことです。
Nさんがジュースをおごってくれました。「え、そんな…サブ担で散々お世話になったのにこれ以上、いいですよ」と言う私に
「いいからいいから」と言ってジュースを買ってくれたNさん。
その姿を見て、「私もこんな風にビシッと後輩の指導して、降版日にさりげなくジュースおごってあげられるような先輩になるぞ!」と思いましたね。
…結局思っただけで終わった気がするのですが(爆)
いや、だってね、結局私、その後サブ担する機会なかったんですよ…あっても私のレイアウトセンスじゃ無理だったろうけど。

そんなこんなでできあがった、初面担の号。
初記事のとき同様、やっぱり面の隅っこに「レイアウト ○○○○」と自分の名が載ってるのを見ると嬉しかったです。
後日、反省会で当時の編集長に「右面だか左面だかわからん」と評されましたがね(汗)
(開いたときに右側に来る面=偶数面と、左に来る面=奇数面とでは、文字を追うときの目の動きを考えてレイアウト配置が逆になります。
私の面は右面・左面どちらともとれる“どっちやねんレイアウト”でした。)
このときから既に私のレイアウトのセンスのなさは露呈されていたようです…。


2.渉外には不向き?

うちのスポは、3年生で現役を引退します。
毎年11月半ば頃になると、2年生の中から編集長をはじめとする新しい幹部役員が決まります。また、1年生も新たに役職につくことになります。
12月始めに、1年生全員で集まって役職を決める話し合いがありました…ていうか降版日のついでに立ち話程度で決めちゃった感じだけど(笑)
うちのスポの役職には編集長、主務、副務、業務、会計、渉外、記録、連盟、写真があります。
編集長は言わずもがな、スポの一番上に立つ人です。
編集会議・ミーティング・反省会などの司会進行もこの人がやります。
主務は、合宿や納会、打ち上げなどの行事の企画・準備、引退した4年生への連絡など、細々した仕事を進めてくれます。
主務が3年生なのに対して副務は2年生がやります。平たく言えば2年代表。何かあったときに下級生をまとめる役。
業務は、広告を担当する仕事。新聞を作れるか否かは広告の集まり次第。うう、責任重大。
小口広告はスポ全員で手分けして回りますが、それ以外の大口広告は業務の管轄。もちろん、小口を統括してるのも業務。
会計は、その名の通りスポの金庫番。新聞が出来上がるたびに広告先宛ての請求書&領収書を山のように書いてます。
業務と連携してスポの経済状況を日々確認し、ため息つくのも仕事…かも。雑費支出は極力控えて!
渉外は、定期購読者やOB宛ての新聞発送を担当。降版日の翌朝は、早起きして有志で新聞の入った封筒の束抱えて郵便局へ。その先導役。
定期購読者の名簿管理や発送用のラベル・封筒作りなど、目立たないけど結構大事な仕事多し。
記録は、入稿中の校正作業の総責任者。もちろん記事執筆者・担当チーフ、それに面担者もチェックはしますが、
記録は表記に誤りがないかをさらに細かくチェック。ゆえに入稿中は印刷所に缶詰めになる面々の一部です。
連盟は、他大学のスポとの連絡窓口。「連盟会」という各大学の集まりや、東西の大学スポが合同で行う合宿など、横のつながりも結構あるので
いろんな大学の面々に顔が広くなる役職。スポ同士でお互い新聞も送りあってます。
写真。写真を撮る人自体は結構多いのですが、皆が皆バラバラにやってるだけじゃ収拾がつかないので統括するのがこの仕事。
フィルムやレンズの管理、写真の現像、ネガの整理、紙面に載せる写真の管理など。

新2年生から副務1人、業務4人、会計以下は各1人ずつ決めることになりました。
副務以外は基本的に3年になってもそのまま役職が持ち上がりになります。なので慎重に決めないといけません。
…慎重に決めないといけないって言ってるのに!
副務に男2人が立候補。話し合いとか多数決で決めるかと思いきや、ジャンケン。しかも3回勝負。
確かに一番正々堂々とした方法だけどさぁ…そんな決め方でいいのか?と疑問を抱いたのは私だけ?

で、私なんですが、なんと業務に決まってしまいました。
これが実はいまだに納得行ってないんですが(笑)、私、最初渉外やりたかったんですよ。
で、事前に先輩にも「渉外やりたいと思ってるんです」と言ってたんですが、なぜかその時先輩の反応は薄く…
…それは暗に「あんたに渉外は無理でしょ」という意思表示だったのか?
それでも、1年生同士で決めるから私が希望すれば渉外にはなれたはずなのに
気付いたらなぜか業務になっていた。どんないきさつでそうなったのか、そのときの記憶がない(汗)
誰か、なんで私が業務になったのか覚えてる人いたら教えてプリーズ!

ちなみに、このとき役職を決めたものの辞めた人がいて、後々、一部の人々に負担がかかることとなります。
1人で役職いくつもかけもちする羽目になったり…。

役職が決まり、年が明け、3年生は2月の納会をもって引退していきました。
2月中旬、新体制となって初の行事・冬合宿。人生初のスキーで、自分にはスキーの才能がないと身をもって感じました(泣)
その合宿から帰ってくるとすぐに、新体制での仕事が静かに始まっていきました。
業務としての初仕事は、広告先に挨拶回り。入学式以来のスーツに身を包み、初めて持つ名刺を手に。
名刺を作ると、役職についたんだなぁ〜と改めて思いましたね。
いっぱしに仕事を任されて、少し前へ進んだような、そんな感じ。
春が来たら、もう2年生。私たちも“先輩”になるのです。
ただ、そう呼ばれるには当時の私はまだまだ考えが甘く幼かったと思います。
名刺に書かれた肩書きの分だけ、大人になったような幻覚にとらわれて。


3.有望新人をスカウトせよ!

4月。入学式が行われ、沢山の新入生が新たにキャンパスに足を踏み入れます。
私たちもついに2年生となりました。
入学式からのおよそ1週間は、新入生とサークル勧誘の上級生が入り混じってキャンパスがごった返します。
特に入学式当日なんてもうハッキリ言って最悪です。“人の波にさらわれそう”というのはまさしくこういう状態だと思います。
各サークルは勧誘のビラを作って新入生に配りますが、スポも「新入生歓迎号」というのを作って配ります。
もちろんいつもの号同様、試合結果や展望などを載せているのですが、この号はそれに加えて多少自分たちスポの勧誘記事も載せます。
で、その勧誘企画記事を担当するのが新2年生の役目なわけで…

勧誘記事は、学校の有名なスポーツ行事についての紹介と、それに関連付けてスポの活動紹介という形にしました。
スポーツ行事を紹介する班と、スポを紹介する班に分かれて記事を書いたのですが
私は確かスポーツ行事紹介の方でした、一応。記事自体は書いていないのですが、取材は行きましたね。
なぜか警察署に取材に行くという話になり、またしてもスーツ着用ですよ。
でも、当日になって結局警察に出向くことはなくなり、仕方ないので何か記事用にネタを拾って帰るベ、ということで
その足で神宮から学校まで歩いて帰ってみようという全くの思いつき企画をやってみました。行き当たりばったり最高。
野球で優勝したときは確かに球場から学校まで歩いてパレードもやります。
だけど、何もない日にスーツ・革靴で歩くなんて、普通しないよね。
しかし、普段は電車でスーッと通り過ぎて行くだけのところを自分たちの足で歩いてみるのもまた一興。
「ここからあの道につながってるんだ!」なんて発見もありました。1人じゃなかったし、結構楽しかったです。
ちなみに、地図で見ると学校まで5キロちょっとだったかな?1時間10分くらいかけて歩き、無事に学校に到着しました。
でもこれが何か企画の役に立ったかというと…あんまり…(笑)

そんないきさつを経て作られた(?)新歓号のスポ。
これをいつものように大学構内で配りながら、同時に新入生勧誘もします。
スポに興味がありそうな子がいたら、説明のためにキャンパス内の出店に連れて行きます。
新聞配りながら、同期と一緒に「スポーツが好きそうな雰囲気の子を探して声をかけよう!」ということに。
しばらくそれを実行していると、いかにも高校時代はスポーツ少年!といった雰囲気の男の子を見つけました。
ターゲット発見!と喜んで声をかけると…
野球部員でした(爆)正確に言うと、野球部に入部予定の子。
確かに私たちの目に狂いはなかったですよ。スポーツマンの雰囲気は如実に察知していたわけで。
しかし本物の体育会(に入る子)をスカウトしてしまうとは…。それが縁で?彼のことは4年間密かに応援してましたがね。

スポとしては、教室を借り切っての説明会を2回、その他にも出店へ来てくれた子たちもいて
最初の新歓イベントの頃にはまぁそこそこの新入生が集まりました。
しかし、最後まで残るのはきっとこの半分もいないんだろうなぁ…とひそかに思っていました。
さっきも書きましたが、傍から見るより「面倒くさい」のがスポの活動ですから。
それに耐えられない・合わないと思う人はどんどん辞めていくものです。
そう思うと、1年前、私が出店に行ったときに先輩Hさんはある意味では誠実な応対をしてくれたのだなと思いました。
甘い話ばかりで誘うのではなく、厳しい面もあるということを最初にきちんと教えてくれていたのだと。
そんなHさんから後に聞いた話ですが、
あの頃の私のこと「おとなしそうだったし、スポの雰囲気にはついていけず、すぐにやめると思ってた」そうです。
半分当たってますね。一度は辞めようとしたもん。
でもその後は…予想を裏切って、よかったですか、悪かったですか?




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