2004年前半のコトノハ(2004.1.1〜6.30)

吉兆?
新年初笑いは何だったか忘れた。でも新年初泣きは今後もしっかり覚えてることだろう。

今年初の涙は三浦貴のために。嬉し泣きだった。
TBS系の元旦恒例番組、スポーツマンナンバー1決定戦。
「ヤスパンダ的電視案内」を書いた時点では、まさかこんな展開になるなんて思いもしなかった。

昨年の2月上旬、彼の野手転向のニュースを知った私は本気で泣いた。
初めて巨人の選手の記事のためにスポーツ報知を買った。1面に「三浦、野手転向」の文字が躍っていたあの日。

投手・三浦貴が好きだった。
それまで投手としての三浦貴しか見たことなかった。
応援し始めた高校時代からずっと、彼はマウンドにいた。

プロ1年目は49試合に登板し3勝2敗、防御率3.41。順調なスタートを切ったように見えた。
2年目の春。一つの死球をきっかけに自分の思うような球が投げられなくなる。一軍登板はわずか3試合にとどまった。
3度目のキャンプが始まってすぐ、身体能力の高さを買われて野手転向を打診された。
それは同時に、「投手・三浦貴」への引退勧告でもあった。

2年前この番組に出たときはまだ「投手・三浦貴」だった。
ピッチャー向きであろう、すらりとした体躯。表面的には今も、初めて見た頃の印象と比べて大きな変化はない。
けれど今日、画面の向こうにいた彼は以前とは何か違う雰囲気を持っていた。
逞しさ。力強さ。勝負師としての顔。
ひいき目抜きに、男らしくカッコ良くなっていた。
これが、「野手・三浦貴」の姿。
2年ぶりの出場となった今回、各競技で自己ベスト記録を次々更新した。
体格的に不利と思われたパワー勝負の競技でも健闘を見せた。
野手としてゼロからのスタートだった2003年。その努力の成果が思わぬ形で表れたのだと思う。
最終成績は、総合1位。ファンですら想像できなかった結果だった。
嬉しくて、画面を見ながら泣いた。

たかがオフの番組で、と思われるかもしれない。
野球選手はグラウンドで結果を残してナンボだろう、とも。
それは正論だ。だけど、これを機に彼が大きく飛躍してくれることを期待してならない。
飯田哲也、松井稼頭央、緒方孝市…この番組で過去に優勝したプロ野球選手の面々。
中でも松井はこの番組でずいぶん知名度を上げたと思う。三浦もそれに続いてほしい。

新年初日から、自分の応援する選手が注目された。
これは間違いなく吉兆だ。
(2004/01/01)


そこから始まるものもある
先日、某プロ野球選手のトークショーというものがあったので見に行って来ました。
軽い気持ちで行ってみたのですが、信じられないくらいの人が詰めかけていてその人気に驚きました。

主役の選手が登場した瞬間、「キャー」という黄色い悲鳴と、カメラのフラッシュの嵐。
思わず苦笑してしまいました。その光景はまるでジャニーズか何かのタレントみたい。

その選手はオフも様々なイベントやTV出演で多忙を極めていたようで、もう少しゆっくりさせてあげたいと思いました。
昨年1年間頑張ったのだから、つかの間のオフくらいのんびりして、次のシーズンへ向けて英気を養ってほしいのですが。
オフの露出過多。もしこれで今年成績が良くなかったら「昨年の活躍で調子に乗っているからだ」などと言われかねません。
もちろん本人もわかっていて、そうならないように努力はしていると思いますが、逆に変な焦りも生まれるかもしれないわけで。
調整不足も、逆に焦ってケガなんてのも、どっちも避けてほしいです。
昨年の活躍で、他球団からもマークがきつくなるとは思うけど、今年も頑張ってほしいなと思いました。

トークショーの観客層は、若い女の子も多かったです。
その選手のこと、プロ野球選手というよりアイドル的に捉えていた子も…中にはいたんだろうな。

スタートはミーハーチックでも構わないと思うんです。
そこから、野球を本当に好きになっていけば。
かく言う私も、高校野球を見始めた頃は「あーこの人カッコイイ」的な感情から始まっていました。
だけど、カッコよさって、外面的なものだけじゃないんですよね。
プレースタイルがカッコイイ選手、アスリートとしてのポリシーや自己管理がしっかりしている選手…
それらがわかり始めて、野球そのものにも興味が湧いていき、色々な試合、色々な選手を見て…そうして今に至ります。
女の子で野球が好きって言うとミーハーに思われがちだけど、実際は本当に野球自体が好きな子もいます。
また、ミーハーから始まっても、そこから野球を知ろうと努力してる子だっています。
全てはきっかけに過ぎないのです。
これからも「野球が好き」な子が増えていけばいいなと思います。
活躍してる間だけファンが多いとか、結婚したら人気が落ちるとか、そんなのは寂しすぎる。
「ミーハー初め」とか言いながら、ミーハーについて深く考えた年初めでした。
(2004/01/15)


まぶたの裏の夏
友達からメールが来た。
言葉少なに、ある選手の引退を告げるものだった。

思わず目を疑った。「うそでしょう?」と思った。
メール画面開きっぱなしの携帯を片手に、パソコンを起動する。事実確認だ。
友達の言った通り、そこには選手の写真と「勇退」の文字があった。
彼女もわざわざ確認してから私に教えてくれたわけだし、ウソじゃないことはわかっていたけど、実際に文字でそれを認識すると、ズドンと来る。
ユニホーム姿の写真が、悲しかった。

「うそでしょう?」と思ったのは、秋にちょっとしたいきさつがあったから。
当然、来季も現役でのプレーが見られると信じて疑わなかった。
だから今、ショックというより驚きの気持ちが強い。
どんな選手にも、いつか来ることとはわかっている。
けれど、いざ直面するとやっぱり戸惑う自分がいる。

結果として、私たちは彼の最後のユニホーム姿を見たことになる。
だけど、そのときは来季もあるものだと思っていたから、そのつもりで見ていたから…
まさか、あれが最後だったなんて。
何の前触れも覚悟もなかった。
悔しい、悲しい、残念。一言では表せないような複雑な気分が渦を巻く。

それから後は、友達とそのことについてメールを交わしながら、ぼんやりと思い出していた。
彼の高校時代、大学時代、社会人になってから。
見ようと思えばすぐにでも、昔の雑誌や新聞、ビデオテープなどを引っ張り出して見ることができた。けど、それはしなかった。
今は頭の中に浮かぶ記憶だけで十分。それ以上いらない。
写真や映像ではっきりと形に残っているものを見たくないのかもしれない。
最後のユニホーム姿、写真に撮っていて画像は手元にある。
だけど、当分見ないだろうと思う。

まぶたの裏にぼんやりと浮かぶのは、最初に彼を見た夏のこと。
歯車が少しでもズレていたら、ひと夏のほんの一瞬のすれ違いで、記憶に残ることすらなかったかもしれない。
存在を知り、ここまで長く応援できたのは幸せかもしれないが、それが終わるときはその分寂しいということもよくわかった。

勝手なのは重々承知だけど、趣味の範囲でもなんでもいいから、これからもどこかで野球につながっていてほしいと思う。
いつかまた、どこかで会いたい。
まぶたの裏のあの夏は、多分ずっと消えないから。
(2004/01/18)


勇気
己の過ちを認めること・そしてそれを他人に公表することは、勇気のいること。そう簡単にできることではないと思います。
丸一年以上が経った今、ようやく自分自身の言葉であのときの騒動について語った彼。
傷ついたこと・悔やんだことは沢山あったでしょう。何も、誰も信じられなくなった日もあったはず。
とても卑怯な提案だけど、このまま逃げ続けて、人々の記憶が風化するまで貝のように口を閉ざす方法もあったと思います。
けれど、彼は前に進むためにこの選択をしました。もう逃げない――。

強いのだな、と思います。
本当は不安で、怖くて、逃げ出したくて、
心は風前の灯火のようにゆらゆら揺れているかもしれないけれど。
それでもこの選択ができただけでも先に進んでいるし、確実に前より強さを身につけたはずです。
強くなれるのは、きっと守りたい自分の夢があるから。

5月の終わりの雨の日。あの日のピッチングに魅せられて、私は今も彼を応援しています。
一昨年秋、学生最後のマウンドは見られずじまいで終わりました。
もう一度あのピッチングを見たいと、どこにも届けようのない願いを友達と口にしていた秋の日。
もし今から海の向こうでその願いが叶えられるとしたら、私は静かにそれを見守りたいと思うだけ。

どん底の下はない はい上がるだけさ…
夢をつかむために強くなった彼の姿を見たい、ただそれだけです。
(2004/01/28)


まっすぐな道
まっすぐな道が好きだ。
小学校も、中学校も、高校も、学校の目の前にまっすぐな道が走っていた。
ずっとそんな中で育ったからなのだろうか。遥か向こうまでまっすぐに続いている道と、その周りの風景が好きだ。
そういえば大学のときも、完全にまっすぐではなかったけど、大きな通りがずーっと遠くまで伸びていた。
青空の下、まっすぐな道を特にあてもなく歩くのが好きだ。

 
選抜の出場校が発表された。
出場が決まった高校の部員が行う、恒例の「帽子投げ」。
毎年見る光景だけど、いつ、誰が最初に始めたのだろう?とふと疑問に思った。
青空に、あるいは雪の舞い散る中、宙に高く投げられる帽子。
春がそこまでやって来てることを告げる合図。

出場校決定を告げるTVのニュースで、ダルビッシュを久しぶりに見た。
新チームで主将になった彼。ひょっこり頭一つ飛び出している背の高さは変わらないけど、少し大人っぽくなっていた。
責任感が人の顔つきを変える。
スポーツの世界において、それを目の当たりにしたことがある。 たぶん今のダルもそうなのだ。
主将の責任感が彼を大人にした。
昨年の、良くも悪くも正直すぎるくらい正直なダルが好きだった。
だけど、今のちょっと大人びた笑顔のダルも悪くない。
春の選抜は3月23日、甲子園で開幕。
今日の出場校決定を受けて、私は携帯の着メロを春仕様に変えてみた。
(2004/01/30)


歪んだモニター
スポニチ大会開幕〜…と自分で言っておきながら、出場チームのメンバー表をまだ全然チェックしてなかった。
スポニチのサイトにUPされていて、友達からもその話は聞いていたのに。
むむむ。ほんの数ヶ月のオフシーズンでカンが鈍ってるか?
とりあえず先ほど、ウェブにて今季のチーム陣容を確認。

…やはりショックだった。
ひいきチームが大規模な補強をしたということで、その分「上がる」人も多いんじゃないだろうか…と昨年末からビクビクしていた。
実際メンバー表を見てみると、思っていたよりは少なかった気もする。
だけど、誰一人として、引退して寂しくないはずがない。
見慣れていた名前が消えている。
その人のプレー、試合で見たときの思い出が頭に浮かぶ。
ポジションの順に、名簿を目で追って行く。
途中でモニター画面が歪んで、文字が読めなくなった。
もうあの青いユニホーム姿は見られないんだ、とぼんやり思った。
まだ現実的に思えないその事実が、今、目の前に突き出されてる。

それから、他のチームのメンバー表も順番に見ていった。
やっぱりオフの間に少しカンが鈍っていて、チーム名を見て、そこにどんな選手がいるか、思い出すのに少し時間がかかる。
昔から応援してる選手たち。
辞めてないよね?
名前、載ってるよね?
祈るように画面をクリックしていく。

わかる範囲では、知ってる選手たちはほとんどまだ現役だった。
だけど、見落としもあるだろうし、既に引退を知っていた人もいる。
4月にグランドスラムを見て、もう一度確認しないと。
それはいつも、いやなドキドキ感と悲しみを伴う作業。

お疲れ様でした。
あの日のピッチングを、ホームランを、私は忘れない。
(2004/03/08)


夢、というべきものかわかりませんが。
「いつかこういう日が来るといいな」と思っていることは沢山あります。
応援してきたアマチームのOB選手による「先輩後輩対決」みたいなものもそうですし、
応援している若手選手たちを見ながら、
「○○くんが投げて、このメンバーでバックを固めている、そんな試合を早く一軍で見たいな〜」とぼんやり思うことも多いです。
(もちろん、むやみに若手使えってことじゃなくて。今のレギュラーの人たちだってとても好きなのですが。)
なんだろう、うまく言えないけど、そういうのが楽しみなんですよ。
スポーツほど、人が成長して行く様をハッキリ見られるものってないと思うんですよね。
(2004/03/09)


呉越同舟
久しぶりにスポーツ新聞を買ったらば、嬉しい記事のすぐ下に悲しい情報も載っていた。
そういえば前もそんなことがあった。
応援してる選手の活躍した記事を読もうとしたら、そのすぐ下に別の応援選手のケガの話を発見。
毎日が悲喜こもごもの世界。いいことも悪いことも、紙面上では呉越同舟。
(2004/03/10)


風の強い日に
何気なく日テレのスポーツMAXを見ていたら、今年から日ハムの広報になった荒井さんの特集をしていました。
見ていて、なんだか泣けた。勝手に涙が出た。なんだろう、番組の意図的にも、別にそこまで泣かせる要素は入っていなかっただろうに。

広報って、大変な仕事だと思うんです。球団の、ありとあらゆる面での窓口ですから。
毎日、電話はじゃんじゃん鳴るし、取材や来客もどんどんあるし、選手以上に動き回らないといけない。
スケジュールの管理能力も問われます。把握してないといけないこと、気を配らないといけないことが沢山。
本当に、こういう仕事のできる人はすごいよなぁって思います。
慣れてくれば少しは余裕も持てるかもしれないけど、1年目の荒井さんにとってはまだ毎日大変だろうなぁ。
そう考えたとき、ふと現役時代の荒井さんの姿も浮かんできて。
目の前でプレーを見たのは、去年のオール早慶が最初で最後。
彼は私にとっていつだって、遠いヒーローみたいな存在でした。
今は、新米広報。ジャージで駆け回る日々。
今年からモデルチェンジされた新しいユニホームを「着てみたかった」ってポツンと言ってました。
その姿、私も見てみたかったと思う。だけど、もうそれは叶わない。

もうユニホームじゃないけど。
そのうち今の姿が板について、余裕の笑顔の荒井さんが見られるように。
そっと応援しています。
(2004/03/11)


あの夏、君はそこにいた
野球を見始めたばかりの頃、私にとって甲子園が高校野球の全てでした。
甲子園でプレーしてる人たちの、まばゆい光しか見えてなかった頃。

それから時が流れるうちに、幾人かの「元甲子園球児」と、多くの「元・甲子園を目指していた球児」たちに出会ってきました。
甲子園はいつまでも、球児にとっての聖地。憧れの場所です。
だけど、そこに行くことが必ずしも全てではないのだと思うようになりました。
大切なのは、そこへ行こうと努力すること。
無論、その努力の末に本当に行けたならそれに越したことはないけど。

今、HPのトップを飾っている写真。
本当はそこに「あの夏、君はそこにいた」という言葉を入れるつもりでした。
だけど、“君”はまだ現役でプレーを続けているので、過去形みたいな言い回しはよくないと思いやめたのです。

彼が甲子園に対してどんな思いを持っているのかは、彼にしかわかりません。
グラウンドを照らす太陽は、光と影を生み出すから。
刻まれた記憶は、決していいことばかりではないと思う。
彼にしかわかり得ないことを外からあれこれ推測して、勝手に美化したり、同情したり、貶したりするつもりはありません。
ただ、あの夏、あのグラウンドに彼が立っていたことは紛れもない事実で。

気が遠くなりそうな暑さの中、空の大きさを感じた日でした。
今も白球を追い続ける彼の、野球人生の一つの通過点。
そこにたまたま私が居合わせたという、小さな偶然。
何気なく撮った写真。それを見て、あの頃は見えていなかったものに気付きました。

ベースの向こう、追いかけるものは白球と、勝利と、夢。
グラウンドに落ちる影も見えるようになった今だから、この写真を使います。
強くなって下さい。昨日より今日、今日より明日。
カバンに揺れるお守りと、あの日の笑顔を懐かしく思える時が来るまで。
(2004/03/14)


桜咲く頃
思い出の地にも桜が咲き始めたと、友からの知らせ。

薄桃色の吹雪が吹きつける頃、いつも感じる気持ちがある。
過去も現在も未来も、全てがここにある。
わかってもらえることが嬉しい。
わかり合えてることが嬉しい。
あの場所の桜を思い浮かべながら、携帯のメールに保護をかけた朝。
(2004/03/18)


今でも
今でも、We love マヨネー’S。
大好きだったものは、忘れてないよ。
(2004/03/21)


ドキドキを与えてくれる人
ダルが、大舞台ですごいことをやってくれた。
ノーヒットノーラン。選抜では10年ぶりの快挙。
華々しい大記録の一方で、それをやられた熊工の選手たちにとってはとても悔しい記憶だと思うけど。
簡単にできることではないから、やっぱりダルを、そしてバックで守り立てた東北野手陣を素直に称えたい。
一冬越えて、ダルの体つきが変わっていたのがまず目に付いた。足腰がたくましくなってる。
そして、全部見たわけじゃないけど、いい球投げてるねー。直球・変化球とも絶妙。
ビデオに録ってあるんで、今度じっくり見ます。

個人的には、この記録が10年ぶりと聞いて、そちらにも感慨を覚えたり。
10年前っていうと、完全試合。あれからもう10年も経っているのかぁ。
あ、それから、今日のダルを見て95年夏の澤井氏を思い出しました。

ノーヒットノーランや完全試合、そして「あわや大記録」という場面には結構遭遇してますが、球場で実際に見てる方が意外と冷静でいられる気がします。
TV中継とかだと、なんとなく雰囲気に煽られて必要以上にそわそわするんですよね。
私は、8回を終えるまではノーヒットのことでそわそわしないようにしています。
6回や7回まで抑えていたからって「もしかして…」と思うのは早計です。
8回終わってまだノーヒットピッチを続けていたら、そこで初めて可能性を考えるようにしています。過去の様々な経験上そうなりました(笑)

野球を見てると、色々なドキドキを味わいます。
もちろん他のスポーツにもそれはあるけど、私には野球のドキドキが一番性に合ってるような。
明日はいよいよパ・リーグ(とイースタン・ウエスタン両リーグも)開幕です。
今シーズン、彼らは一体どんなドキドキを与えてくれるんだろう。
午後1時プレイボール。とても楽しみです。
(2004/03/26)


Enjoy Baseball!
ということで、プロ野球も本日開幕。
一方、甲子園では選抜も熱戦を展開中。
朝から晩まで、日本のどこかで野球の試合をやってるんだなぁと思うと、
それだけでわけもなく幸せな気分。

今さらだけど、新しいシーズンの始まりにあたり、改めて言わせて。
野球ってやっぱり面白い!
大好きだー!

今年もいっぱい楽しみましょうね>野球好きな同志の皆様
(2004/03/27)


残酷な美しさ
勝利の女神は気まぐれ。美しい微笑みと、冷酷な横顔とを合わせ持つ。

真壁くんの肩をポンと叩いたダル。2人が並んだその姿に、いつかの樟南バッテリーが重なりました。
あの夏から、今年で10年。

残酷な幕切れ。勝者と敗者、くっきり分かれた明暗。
しかし、その残酷さの中に潜む何かが人を惹きつけるのもまた事実。
目に焼きついて離れないラストシーン。これから先、時が流れても、今日の試合を忘れることはないでしょう。
(2004/04/02)


そして、夏へ
ナイトゲームが好きです。
普段デーゲームでやることの多いアマ野球では特に、ナイターになると特別な感じがします。
カクテル光線の中、思い出に残る試合がこれまで色々ありました。
あのオレンジ色の光を見る度に、不思議な感慨を覚えます。

高校野球で初めて、ナイターでの決勝戦を見ました。
照明灯にキラキラ照らされて、昼間の太陽の下とは違う美しさ。
今回は天候状態による特別措置だったけど、これもまた趣があっていいんじゃないでしょうか。
もっとも、時間を追うごとに気温が下がって、かなり寒そうだったけど…(苦笑)

選抜期間中、何人かの友人からメールが来ました。
皆、さすが我が友!という感じ。
何がすごいかと言うと、メールを開く前に内容がわかってしまうくらいの以心伝心ぶり。
一つの試合やプレーを見て、驚いたり感動したりするポイントが同じなんですよね。
あまりのシンクロぶりに笑ってしまうほどでした。

こうして春の選抜は幕を閉じました。
次は夏。
とあるチームを見て「絶対にまた戻ってきてほしいな」とつぶやくと、それを聞いていた妹が「“絶対”はないよ」と言いました。
知っています。野球に、スポーツに“絶対”というものが存在しないこと。
だからこそ、強い思いを込めて「絶対、絶対に夏も戻ってきてほしい」と願うのです。

月が静かに見つめ、済美高校のユニホームが誇らしげに照らされた夜。
今度は8月の終わり、歓喜の表情でここの土を踏みしめているのは一体どこの学校なのか…。
まだ各地で桜の舞う日本列島。
けれどここではもう春は終わり、次の季節が始まっています。
それぞれが、たった一つの夏を目指して。
(2004/04/04)


世代間論争
昨日GS買ったときに週ベも読んだけど、もう世代間比較はいいよーって思った。
どの世代が最強だのなんだのって、あくまで現時点での評価でしかない。
たとえ今最強世代と呼ばれていても、そのうちまた新しい最強世代が登場するだろうし、
今は目立った選手がいない世代でも、今後の活躍次第で評価は変わる。
最強だろうと目立たなかろうと、自分と同い年の選手たちのことは好きで、
彼らの存在に誇りを持っているし、それ以外にも、年齢なんて関係なく応援してる選手は沢山いる。

例えば、昨日7回終了時まで完全試合ペースで投げた井川。
今日、156キロの剛速球で東京ドームの観客を唸らせた五十嵐亮太。
すごいプレーで観客を魅了する彼らのこと、本当に「谷間の世代」だなんて呼べるか?
世代で野球やってるわけじゃない。学生野球ならともかく、プロなんかは特に。
ベテラン・中堅・若手、いろいろな選手がいるから面白いんだ。
(2004/04/10)


Last of PRINCE
あのとき、名門のまさかの廃部に言葉を失った。
最後の試合となった日本選手権。2回戦で敗退し、チームの歴史に幕が下ろされた。
その後、12人の選手が他チームに移籍して現役を続行。
そのうち5人の選手が、その年のドラフトでプロの門を叩いた。

それから4度目のシーズンが巡ってきた。
「最後のプリンスホテル戦士」の一人が今夜、お立ち台でヒーローインタビューを受けていた。
ズボンの左ポケットは、長田から渡されたウイニングボールでふくらんでいる。
ここまでの4年間、すんなりとは行かなかった。
時間がかかった末に、ようやく手にした一つの星。

今いるチームで、目の前のライバルたちを相手に戦っていくことが今の彼の使命。
そして、彼が活躍することで、プリンスホテルというチームがあったこともまた、人々の記憶の中で生き続ける。
見えない使命を背負う者たち。
試合後、社会人〜プロとずっとチームメートである水田も、彼に何か声をかけていた。

色々な人たちから祝福されていた、プロ初勝利。きっと忘れられない日になるんだろう。
おめでとう、大沼。
(2004/04/19)


cross road
最初に言っておくと、私は彼の親戚縁者ではないし、心の友(byジャイアン)と呼べるような間柄でもない。
大学や神宮で同じ時間を少し共有し、人生の中でかすかに交差する部分があったというだけだ。
けれど、ほんの一瞬かもしれないその交差の中、彼は忘れられない強い印象を残した。
だから私は、江尻慎太郎という男を今も応援せずにはいられない。

江尻ほど楽しそうに野球をやっている選手を見たことがない。
おそらくそれは、彼が「マウンドに立てる喜び」を知っているからだと思う。
「二浪の苦労人」という経歴はこれまでにも色々なところで紹介されている。
それに加えて、大学2年以降はケガにも苦しみ続けた。
彗星のように現れ、どん底状態だったチームに明るい光をもたらした1年の秋。
周りも自分自身もその時の輝きを知っているだけに、復活を果たすまでにはジレンマがあったはずだ。

ケガでベンチから外れ、二階席で一人じっとグラウンドを見ていた瞳。
私が見せたスコアブックで、友人の打席結果を興味深く確認していたときの表情。
そして、やっとマウンドに立てたときの嬉しそうな姿。
見ていて、本当に野球が好きなんだなというのが伝わってくる。それがわかったとき、この人を応援したいと思った。
ケガを治してもう一度、きら星のような輝きが戻る日を願った。

これまで、栄光と挫折の間を何度も行ったり来たりした野球人生だったのではないだろうか。
彼が辛いとき、支えになったのが夫人の麻理さんだったと思う。
まだ彼女が「彼女」だった学生時代。大学最後の登板となった早慶戦で、江尻は先制の適時三塁打を放った。
歓喜に沸く一塁ベンチ上“江尻応援団”の中で、彼女は泣いていた。

そして今日、プロ3年目で手にした最初の白星。初めてのヒーローインタビュー。
マウンドには、あの日と同じように躍動感のあるフォームで投げる江尻がいて、
TVでは、嬉し泣きしながら見つめる麻理さんが映っていた。
江尻の笑顔と麻理さんの泣き顔を見てたら、あの時の三塁打の記憶が蘇ってきた。
曇り空を切り裂いた打球の軌道まで鮮明に。

プロとしての記念すべき日。江尻本人、麻理さんや家族の方々、そして応援してきたファンの人たちにとって特別な日になったはず。
本当に本当に、初勝利おめでとう!!
(2004/04/21)


タイムマシンがあったなら
1988年、その頃私は小学生で、まだ野球のやの字も知らなかった。
今でも球界の語り草となっている、伝説の「10.19」。
それを私は見ていない。
もしもタイムマシンがあったなら、過去に行って見てみたい試合の一つだ。

そんな「10.19」を戦った鈴木貴久さんが亡くなった。
まだ40歳。現役の近鉄二軍コーチだ。
誰一人予想できなかった、あまりに突然の出来事。
喪章を付けて試合に臨んだ近鉄ナインですら、まだ信じられないのではないだろうか。
つい数日前まで普通に後進指導していた人が、今はもういないなんて。
7回に逆転タイムリーを打った水口さんが、二塁ベース上で肩の喪章をそっと触ってた。
弔いの白星、届いただろうか。
ご冥福をお祈りします。

−−−−−
六大学は、明治が優勝を決めた。
第6週で決まったのは01年秋の慶応以来で、結構久しぶり。
明治は、いつもしぶとくて不気味な強さがあるチーム。
私たちの頃はそういうイメージが強かったのだけど、98年春以来の優勝なんだよね。
なんか、長かったなぁ。
これで次は大学選手権が待ってるわけだけど、六大学代表として、勝ってほしい!

今売ってる「野球批評」に、早大野球部に関する記事が出てるのを読んだ。
文中、マックスが“任期は短かったけど、積極的に若手選手も起用して、その後の時代への下地を作った”と評されていて、なんかすごく嬉しかった。
今までどこも、その後の優勝は全てノムさんの手柄のように書いていたけど、マックスのときのことを評価してくれる人もちゃんといるんだ。
優勝したとき、「佐藤さんも胴上げしたい」とスタンドを探した主将。
そんな教え子たちの快進撃を見ながら「俺はいいから、選手たちに話を聞いてやってよ」と言ったマックス。
やっぱり私はあの時代が好きだなーと思った。
最強世代でなくても、低迷期と呼ばれても。
(2004/05/17)


雨の日の過ごし方
雨で5試合が中止、なんて事態が珍しく思えるようになった昨今。
12球団の本拠地のうち、ちょうど半分が屋外球場、残り半分がドーム。
(2004/05/19)


あのとき戦っていた君は
BSで、西武vsダイエー戦をやっていた。
一瞬しか見てないけど、ちょうど友亮の打席だった。
三塁前に絶妙のセーフティバント決めて内野安打。あまりの「らしさ」に爆笑した。
セーフティで内野安打ということがじゃなくて、相手に嫌がられるような攻撃をするあたりが何だかものすごく友亮らしいと思った。
(ちなみにこれ、もちろん褒め言葉ね。友亮ってそういうバッターだと思うから)
「和田に強い」と言われてるらしいけど、和田っていうか、和田みたいなタイプは全体的に得意なんだと思うのよね。
大学のとき、友達と「友亮ってさ、○○みたいなタイプの投手をカモにしてるよね」「逆に△△みたいなタイプは苦手だよね」といった話をしてたけど、
今も基本線は変わってないようで。
プロ行ってからも友亮の友亮らしいところが見られると、なんか嬉しい。ニヤニヤ。
(2004/05/21)


最初と最後
日常のさりげない光景の中で、時々大切な何かを見つける瞬間がある。

それは昨日、友達と携帯でメールのやりとりをしていたときのこと。
あるチームの話題になり、その子はそのチームのことを
「これからももっとこのチームで見ていたいと思った最初のチームだった」と言った。
それを聞いて、別の友達が以前言った言葉を思い出した。
「応援する選手やチームが増えていくうちに、一つのチームだけを応援するってことができなくなった。“このチームでなきゃ”って思えるのは、あの時の母校が最後だった」

この言葉を聞いた当時、私はその気持ちがまだ理解できなかった。
応援するチームや選手が増えれば、野球を楽しむポイントも増える。
それは喜ばしいことだと思ってた。

今でも、その考え方自体は間違いではない…と思う。
応援してる人たちの活躍は嬉しい。応援してるチームが勝てば楽しい。
けど「“このチームでなきゃ”と思える、自分にとってone and onlyのところは?」
と問われたら、きっと今の私は即答できない。
それが寂しいんだ、と言ったあのときの彼女の気持ち、最近になってようやくわかってきた気がする。

思い出を脳裏に描くこと。“あの頃”を想うこと。
昔を懐かしんでばかりいて、今を否定しようというわけじゃない。
ただ、記憶は私にとって今も鮮やかなカラーのまま。セピア色に風化なんかしてない。
心に残る出会いがあって、忘れられない思い出があって、大切にしたいものがある。

背中合わせの「最初」と「最後」を、時々ぼんやり考える。
そんなことはお構いなしに、今日も明日もどこかでプレイボールは告げられるのだけど。
(2004/05/23)


悲しい予感
今日、誰からもこの話題でメールが来ないのは、皆一様に肩を落としてるからかと。
そうだよね?
もう悲しい予感なんて当たってほしくないんだ。

ふそう・岡崎とも、練習を当面自粛。都市対抗予選を始めとする年内の公式戦を全て見合わせ。
仮に日本代表に選ばれた選手がいたとしても、辞退する方向だという。
さらに、読売新聞の記事では「工場が閉鎖される岡崎は廃部の方向」と書いてあった。
目標も何もかも奪われて、これから彼らにどうしろと言うんだろう。

親会社の状態が如実に反映されるのが企業チームの宿命。
だけど、選手たちは悪いことしてないのに「今回の問題を真摯に受け止め」って何ですか?

この夏も、やがて来る秋も、彼らの姿はグラウンドで見られない。
きっと、黒獅子のエンブレムも泣いている。
(2004/05/28)


意外な記憶
先日、ナイター中継を見ていたときに父がふとこう言った。
「そういえば、昔、お前が応援しててキャンプまで見に行った選手はどうしてるんだ?」
一瞬何のことかわからなくて(というより複数の球団のキャンプ行ってるからどこのチームのことを指してるかがわからなかった)、
意味がわかったら今度はその答えを口にするのに一瞬躊躇した。
「…元気だよ、たぶん。今は球団職員やってる」
なんでまた父が急にそんなことを思い出したのかわからないけど、
おかげで私も意外な記憶を引っ張り出す羽目になった。

あの頃は、プロへ入った選手は皆活躍できるものだと思ってた。
何の根拠もなかったけど、何の疑いもなかった。

それからしばらくして、現実というものの存在を知った。
皆に活躍してほしいと思う気持ちは前より強くなったけど、それはきっと現実を知ったせいだと思う。皮肉な話だけど。
(2004/06/08)


流転の牛
サヨナラ勝ちで喜ぶ近鉄ナインの姿を見ていたら、涙が出そうだった。

近鉄とオリックスが合併へ。突然降って湧いた衝撃のニュース。
これからどうなるのかわからない。
ただ選手たちは今日も明日も変わらず、勝利を目指していくしかない。

プロ野球ってなんだろう?
見る人に夢を与えるものではないのかな?

私たちは、悲しい思いをするために野球を愛してきたわけじゃない。
(2004/06/13)


ひたむきに
昨日の「世界ウルルン滞在記」見た方いますか?
今回のリポーターは昨年まで中日に在籍していた山崎賢太。
正直、現役時代に知っていたのは名前だけで、プレーはもちろん、顔も先日までよく見たことなかったのですが、
元野球選手ということで勝手に愛着持って見てしまいました。

イタリアでの旗振り団挑戦を終えて、彼の口からは
「下手くそでも、ひたむきに頑張ることはカッコイイことなんだなということ。
それを野球やっていたときにも気付けばよかった」という言葉が出てきました。
最後の方は他の出演者たちに突っ込まれて笑いに変えていた節もありましたが、本心も存分に入っているんじゃないかと思います。
現在は大手プロダクションに所属し、モデルや俳優への道を歩き出しましたが、
昨年オフに自由契約となってからは他チームの入団テストも受けていたと聞きます。
ひたむきにやれなかったこと、完全燃焼しての引退ではなかったこと。
やっぱりどこかに後悔があるのかもしれません。

旗振りの練習中、「ちょっと休憩しようか」と言われても
「いや、休憩してる暇なんてない…全然できてないんだから、追いつけるようにならなきゃ」と休まず練習していました。
コーチを殴ったとか、酒と女に溺れてダメだったとか(本人談)そんな話もありますが、
確かにこれまで色々あったかもしれないけど、その瞬間、そこに何かを見た気がして、これからも応援したくなりました。
本当は、現役時代から応援していればよかったのかもしれないけど。

彼が、これからの新しい道では、ひたむきに頑張って、輝いてくれることを願います。
頑張れ頑張れ、ケンタ!
(2004/06/14)


できること
ご承知のように、この数日、球界は天地を揺るがすほどの騒ぎになっています。
今回の近鉄とオリックスの合併話が出た時、私はすぐに「これは他球団のファンも対岸の火事じゃないぞ」と思いました。
パ・リーグはおろか、球界全体の問題だと思ったのです。

私と同じように思った方も沢山いると思います。
しかし、一方でやっぱり「自分たちには関係のないこと」と思っている人もいるようです。
それは経営が黒字で身売り話には無縁のチームのファンであったり、そこの関係者であったり。
自分たちがよければそれでいいのか。近鉄やオリックスを愛する人たちの立場に立って考えたことがあるのか。
そんな人たちの無神経な言葉に腹が立ちました。

また、今回の2チームの合併合意をきっかけに、「次はあのチームが危ない」といった憶測報道も次々に飛び交っています。
自分の好きなチームは、お世辞にも絶大な人気を誇る球団とは呼べないです。経営も黒字ではないというのも想像がつきます。
だけど、これほど連日合併の噂がささやかれると、正直うんざりです。信じて前向きにいようとしても、やっぱり不安な気持ちは拭えない。
試合に勝っても、応援してる選手が活躍しても、根本にはいつも不安があって、心から楽しむことができない。それが何だか辛い。
嬉しいこともちょこちょことある一方で、そういった悲しいことが沢山あって、いろんな感情がごちゃ混ぜになって…
正直、自分でも自分の感情を持て余してしまうほどです。

先日の三菱自動車野球部のときもそうだったのですが、何かしたい、でも何もできない自分がとてももどかしいです。
小さなことでもいいから、何かできることはないのだろうか…今、それを考えています。
(2004/06/16)


叫び
日付が変わって23日になったばかりだけど、今この瞬間にどうしても書いておきたい。
試合を見ていたわけじゃないから、そのことは夜のスポーツニュースで初めて知った。
見た瞬間ハッとした。

今日(22日)の近鉄−ロッテ戦。
11−8で近鉄が乱戦を制し、お立ち台に上がったのは北川。
その頬に光る筋が見えた。
最初は汗かと思ったその雫は、目元から伝わり落ちるものだった。
泣いている。北川が泣いている。
いつもニコニコ、笑顔がトレードマークのあの北川が。

「とりあえず今の僕たちは1試合1試合勝つことだけでしか抵抗できないので、全試合勝つつもりで毎日やっていきたいと思います」
「近鉄は今、こういう状態なんですけど、やっぱり最後まで勝つことだけを考えてやっていきますんで、最後まで応援してください!」
北川の言葉。それは選手の心の叫び。
聞こえますか?この声が、あなたの胸にはどんな風に響きましたか?
そう聞いてみたい人たちがいます。
(2004/06/23)


松坂vs岩隈  L1x−0Bu(延長10回)
今日のパ・リーグの試合はどこも接戦ばかりで、
特に西武−近鉄戦は松坂と岩隈による最高の投手戦だったようで。
最近、日本のプロ野球に対してがっかりしたり悲しい思いばかりが募っていましたが
こういう素晴らしい試合を見せられると、やっぱりいいなぁと思います。
これからもこうして楽しんでいきたい。その願いを叶えてはくれないでしょうか。
(2004/06/29)


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