コトノハを束ねて

日々の中で思うことを書き留めている、私の日記兼ネタ帳「ヤスパンダめもりーず」。
その日その日で書いてる時点では「カタチにしたいが、HPに載せるとなるとどのコンテンツにも当てはまらない」ジャンルの雑記です。
しかし、ある程度まとめて読むと、自分の野球観めいたものが端々に表れていることに気付きました。
己の野球観と言っても、そのままではあまりに漠然としていて、一言で表現できるものではありません。
だけど、記憶とともに雑記で書いた文章を辿って行ったら、かすかにその輪郭がつかめるような気もします。

これまでに書いた雑記の中から、そんな内容の部分を選んでまとめてみました。
まとめることで、自分がこれまで野球を通じて何を感じてきたかを振り返ることもできたし、
最悪の場合、日記サーバーが消滅してもこれで多少のバックアップ代わりにはなるということで(笑)
沢山ある日記過去ログのハイライト集だと思って下さい。
なお、一部原文を省略したり、加筆・改筆している部分もあります。



2003年のコトノハ(2003.7.7〜12.31)

大人たちの甲子園
高校野球より一足先に、社会人野球は都市対抗予選真っ盛り。
甲子園を夢見る高校球児と同じように、真夏の東京ドームを目指す大人たちがいます。
ドーム行きを決めるチームが続々と増えていく日々。
夏です。
(2003/07/08)


フレッシュ☆
フレッシュオールスターとは、簡単に言うと「ファームのオールスター」。何年か前までは「ジュニアオールスター」という名称でした。
毎年、上(一軍)のオールスター前日に開催されています。
二軍のオールスターか、と軽視することなかれ。
出場資格は「プロ入団から5年以内」の選手に限られ、しかも一度出場してしまうと翌年以降は出られません。
(思うに、「いつまでもファームにいないで今度は一軍でオールスター出られるように活躍しろよ」ってことだと)
かのイチローがブレイクするきっかけになったのも実はこのフレッシュオールスターだったりします。(まだ名称がジュニアオールスターだった時代)

このフレッシュオールスター、一昨年は東京ドームで開催されたため、友達と一緒に見に行きました。
すっごく楽しかった♪
まだ一軍のオールスターを生で見たことないから単純比較はできないけど、
なんていうか、雰囲気がフレッシュなの!フレッシュなお祭り!←まんまじゃん(笑)
晴れ舞台を見に選手の友達とかがあちこちから駆けつけてて、いろいろ微笑ましい光景も見ました。
この試合をきっかけに応援するようになった選手も増えて。
フレッシュ出場組のその後は今も気にしてて、活躍してる姿を見ると嬉しいです。

「フレッシュ」って言葉の響きが好きです。
明日のスターを目指す選手たち。いつか本当に輝くチームの星となるために。
もっとたくさんの人にフレッシュオールスターのこと注目してもらいたいなと思いました。
(2003/07/13)


野球を楽しむ日
プロ野球のオールスター第1戦。
見ていて、選手たちの笑顔がやけに目についた。
選ばれることが名誉であるオールスターだから?
勝利最優先のペナントレースの重圧から一時解放されてるから?それとも…

アメリカ大リーグに習って、近年、日本でも「球音を楽しむ日」という制度が導入されつつある。
その言葉を借りて言うなら、
今日は「野球を楽しむ日」だったのではないかと。
ファンにとってだけでなく、選手にとっても。

普段は対戦しないチームの選手との対決。
いつも敵として戦ってる者同士でバッテリーを組み、守備の連係プレーをする。
そしてオールスターならではの、勝敗を超越した力対力の対決。
思い切って真っ直ぐを投げ込むピッチャーに、フルスイングで応えるバッター。
そのどちらにも笑みが浮かんでいたのは、まさに野球を楽しんでいたからではないだろうか。

もともと、好きで野球を始めた人がほとんどだろう。
能力をうまく伸ばすことができて、今はプロという舞台にいる。
だけど、ここまで来る間には、好きで始めたはずの野球を楽しいと思えなくなったり、
壁にぶつかって苦しんだりもしてきたはずだ。
現在でも、野球でお金を稼いで生活しているゆえに感じるジレンマはあるかもしれない。

プロとして、栄えある舞台でプレーできる誇りと、子供のように野球を楽しむ気持ち。
長いペナントレースの合間の「夢の球宴」。
選手たちの表情は、いつもとはまた違う輝きを見せていた気がする。
(2003/07/15)


12年ぶりのチームメート
嬉しさのあまり、涙が出そうでした。
パソコンの前で言葉を詰まらせて。

「野球」のコンテンツの中で、私が鹿実を好きになったきっかけを書きました。
ちょうど宮下さんの引退後の消息を聞いたばかりだったので、
追記として当時のメンバーで今も野球を続けている選手の所属先なども書いたりして。

今日、都市対抗の補強選手情報を調べようと思って毎日新聞のHPにアクセスしました。
すると、19日付で阪和地区の補強選手が発表されているではありませんか。知らなかった。
さっそく見てみました。やはりファン心理なのか、真っ先にチェックしたのは大阪ガスの補強選手欄。
次の瞬間、大ガスと同じくらい見慣れた名前が目に飛び込んで来ました。
「大阪ガス 捕手=味園博和(デュプロ)」
味園くん…!

大好きだった91年の鹿実。当時の3年生メンバーで今も野球を続けているのは3人。
大ガスの俣瀬選手と、デュプロの味園選手、東邦ガスの西選手。
そのうちの2人がこの夏、再び同じチームでプレーをすることになったのです。
実に12年ぶりに、同じユニホームを着ます。
あの頃とはユニホームの色も、お互いを取り巻く環境も違っているけれど。

本人たちはどう思ってるんでしょうかね。
今まで、ありそうでなかった偶然。
この夏限りの幻のチームメート復活。

そうそう。HPにはまだ書いてないんだけど、去年の都市対抗ではNKKの試合もちょっと見ることができました。
初めて目の前で見た、宮下さんのNKKユニホーム姿。
結局それが、現役時代の宮下さんを見る最初で最後の機会になってしまったわけだけど。
NKKというチーム名が消え、冬になって宮下さんの引退を知ったとき、
寂しかったけど、最後に一度でも目の前で見ることができて良かったなぁと思いました。

今年の都市対抗が今からとても楽しみです。3日後の27日にはいよいよ組み合わせも決定します。
この夏はいつもにも増してしっかりと大ガスを見てこようと心に決めたのでした。
(2003/07/24)


青空と涙
最後に、あと一歩届かなかった思い。
1年前の今頃もこの場所から見つめていた甲子園への夢。

この夏応援していた学校が決勝で敗れました。
試合後、一塁側のベンチ前で、敗れた高校のエースはずっと泣いていました。
このチームは2枚看板の投手が有名で、背番号1の左腕と、10番をつけた長身の右腕の2人で投げてここまで勝ち上がって来ました。

試合は、エースが好投しながら失策で自滅して逆転負け。
うつむいたまま、泣き続ける背番号1。その隣には10番をつけたもう一人のエースがいて、一生懸命何か言葉をかけていました。
それでも顔を上げることなく泣き続ける背番号1。
やがて、言葉をかけていた10番の子もこらえきれなくなり、言葉は途切れて涙がこぼれ落ちました。

閉会式で優勝・準優勝メダルが授与されるとき。
背番号1の彼の目から、一度は止まったかもしれない涙が再びこぼれていました。
そして、10番の彼の頬にも、涙が伝っています。
彼らの表情を映す画面の奥の方には、夏の青空が広がっていました。

この日、この球場以外にも日本のあちこちで同じような光景が繰り広げられていたのだと思います。
敗れた選手たちの涙がしみ込むグラウンド。
静かに上から見下ろす夏の空。
その空は、遥か甲子園まで続いているのです。

今日敗れたチームの2人のエースはどちらもひいき目ナシでいい投手でした。
野球、これからも続けてくれるといいなぁ。
またどこかの青空の下で、君たちに会いたいです。
(2003/07/24)


嬉し・悔し・夢見し
友達の母校が初めての甲子園出場を決めた。
喜ぶ友達のメールを見ながら、母校が甲子園出るってことの大きさを思ふ。
いいなぁ。ウチもいつか出ないかなぁ、甲子園。
史実によると、昔むかーしに出たことはあるらしい。一応は。
でも、遥か昔の出場歴なんて、今を生きる私たちにとっては意味を成さないの。
これから先、母校が甲子園出たら、やっぱり見に行っちゃうと思う。
たとえ地球の裏側にいたとしても。
(2003/07/28)


夢見る頃を過ぎても
甲子園への思いは年を重ねるごとに変化してきてる。
もう拙い夢を見る頃は過ぎた。
だけど、変わりゆくものと同じくらい変わらないものもあって。
それを分かち合える友と出会えたことを嬉しく思う。

私が野球を見るようになってから、13度目の夏です。
(2003/08/04)


揺りかご
なぜだか昔、スタジアムを大きな揺りかごのように感じたことがあった。

甲子園という外枠は変わってないまま、その中でプレーする高校球児はどんどん入れ替わって行くんだよね。
(2003/08/09)


甲子園を見て
とんでもない送球をしても、
とんでもないボール球振っちゃったとしても、
彼らは一生懸命やってるんだよなぁ。

甲子園へ行くまでの予選でもそうだ。
どれだけ大差のついた試合でも、
どれだけ打たれても、ダイビングキャッチがうまくいかなくても。
皆みんな、一生懸命なんだよなぁ。

勝ちたくて。甲子園に行きたくて。

負けたくなくて。

そんな彼らの「一生懸命」を、あなたは笑いますか?

一生懸命な姿は、輝いています。
どんな人でも。
(2003/08/10)


聖域
甲子園がアメチュウだったので、昔の熱闘甲子園のビデオを見ることにした。

大好きで、これまで何度も何度も繰り返し見てきた映像。
なのに久しぶりだったからか、今日は見ながらボロボロ泣いてしまった。
キャスターもスタジオのセットもなく、番組はナレーターの静かな声だけで綴られていく。
シンプルな構成だからか、映像が引き立つ。試合中のファインプレー、スタンドの応援風景。
決勝の日の放送は、早朝の無人のスタンドから試合開始までをドキュメントタッチで追う。その間、ナレーションは一切なし。
それがかえって決勝戦という独特の雰囲気を強く感じさせて、何度見てもドキドキする。

「宣誓、野球を愛する私たちは憧れの甲子園球場から全国の仲間にメッセージを送ります。
ファイト、フェアプレー、フレンドシップの頭文字“F”のマークをあしらった高校野球連盟の旗のもと、私たち選手一同は、
苦しいときはチームメイトで励ましあい、つらいときはスタンドで応援してくれる友人を思い出し、
さらに全国の高校へと友情の輪を広げるため、ここ甲子園の舞台で一投一打に青春の感激をかみしめながら、さわやかにプレーすることを誓います。
選手代表、山口県立光高等学校野球部主将、杉村衡作」
94年夏の甲子園。私にとってこれまでで一番心に残る宣誓。
この宣誓をバックに大会中のファインプレー映像集を流されて、何度涙したことか。
私にとって、野球を好きになるきっかけとなったのが91年であり、さらに決定的にしたのが94年だった。
これから先、何年・何十年経っても忘れることのない年なんだろうなぁ。

私には私の「聖域」ともいうべき夏がある。
同じように高校野球が好きな人なら、きっとそれぞれ心に残る大会というものがあると思う。
後々になって、今年の夏が思い出に残ると思う人もいるだろう。
それは他人とは比べようのないもので、比べるべきでもないもので。
ただ、大切にしたいもの。
(2003/08/17)


新しい夏
TVの中のカッコイイお兄さんたちに憧れて、目をハート形にして見つめていた子供の頃。
いつしか同年代の選手が活躍するようになり、それとともにますます熱狂した高校時代。
大学生になって、球児は年下となり、1年ごとに大きくなっていく年の差を憂いてみたり。
ここ数年の口癖は「最近すっかり高校野球に疎くなって…」

このまま高校野球好きも引退か?と寂しい考えが脳裏をちらつきだした頃。
新境地が拓けてきました。
かつて応援していた選手たちが指導者として高校野球の世界に帰ってきはじめたのです。

全国各地には甲子園でもお馴染みの名物監督が沢山います。
そんなベテラン監督たちの中にいきなり割って入るのは簡単なことではありません。
まだまだワカゾーと見なされる年代の彼ら、今のところコーチという肩書きの人が多いです。公立校あたりでは部長になってる人も時々いるかな。
でも、コーチや部長を経ていつか監督になる日が来るかもしれない。
その「いつか」を私は待ちわびています。
その日が来るまでに私もずいぶん年をとってしまうかもしれないけど。

これから彼らが追うのは、坊主頭で泣きながら土をかき集めた頃とは少し違う形の夢。
かつて応援した人たち。それを過去形にはしないで、これからも彼らを応援していきたいのです。

今日、そんな「応援していきたい彼ら」の一人が甲子園を去りました。
あの頃はまさか、選手そっちのけでベンチ奥の部長に注目する日が来るなんて思いもしなかったけど。
この夏、その学校を応援できた2試合、楽しかった。
なんだか野球の新しい楽しみ方を教えてもらった気がします。

あの高校は明日からまた、新しい季節へ向けてスタートを切るのでしょう。
そして全国には、同じように既にスタートしている高校が何千とある。
新しい夏へ向けて――。
(2003/08/19)


静かなる投手戦
久しぶりにいい投手戦を見たなーという感じだった。甲子園の平安−東北戦。途中からしか見てないのが悔やまれる。
平安の服部くん、東北のダルビー、どっちもまだ2年生なんだよね。来年も楽しみというか、他チームにとっては末恐ろしいというか。

今日の試合は、「静かなる投手戦」という表現がぴったりだった気がする。
両投手が安定していて、最後までどちらにも点が入る気がしなかった。
春の選抜であった花咲徳栄−東洋大姫路の「延長25回」もすごかったけど、それ以上に試合に決着がつかない気すらしてた。

過去にも1−0の投手戦はいっぱいあったけど、今日の試合は本当にこれが投手戦だーって感じの充実したものだった。
感覚的には、95年夏の3回戦、柳川−敦賀気比戦と似てる気がした。
と書いてわかってくれる人はいるかなぁ?延長15回のサヨナラ犠飛。
私の中ではあれも結構「静かなる投手戦」だった気がするんだよね。

試合の決着がついた瞬間って、サヨナラゲームの場合特に、スタンドが騒然とすることが多い。
だけど今日の試合はスタンドが静まるというか、観客皆が固唾を飲んで、緊張による静寂が興奮を上回った瞬間があった。
そういうのって沢山試合を見ていても意外と巡り合えないものだから、貴重。
ホームインの瞬間は鳥肌が立った。これが、いい試合だった何よりの証拠。
(2003/08/20)


明日に希望を見出して
どんなチームにも必ず世代交代の波は押し寄せます。
その状況を“苦しいチーム事情”と見るか、“明日への希望”と前向きな痛みに捉えるか。
(2003/08/22)


Sail Away
夏の終わりにはいつも、涼しい風が吹く。
ねえ、あなたにとって、忘れられない夏になりましたか?
問いかけようにも、もうそこには誰もいない。
汗と涙を吸い込んだグラウンドは何も語らず、ただ人々の記憶のみが残っていく。

また来年、甲子園で逢いましょう。
(2003/08/23)


面影
都市対抗。母校のOB選手を見たくて、東京ドームへ行ってきた。
行ってよかった!活躍する姿をしかと見ることができ満足。

打席に立っているときの姿を見て、ふと昔の記憶が顔をのぞかせる。
出塁して、塁上にいるときの仕草を見てそれはさらに強まる。
変わっているけど変わらない、あの頃の面影。
試合後にはその人と同期だった別のOBを発見。応援に来てたんだ。
そんなさりげない絆をいいなぁとおもった夏の夜。
(2003/08/24)


ヒマワリと花火
JT野球部が、来季限りで廃部だって…

休部・廃部の報を聞く度にまたか…と思い、やりきれなさでいっぱいになる。
こんな悲しいニュースに慣れっこにはなりたくない。
いつからか、この休廃部がらみのことを文字にするとき、「休部」なのか「廃部」なのかをしっかり確認してから表記する癖がついた。
「休部」なら、もしかしたらいつか復活するかもしれない。ほんのわずかな可能性だって、ゼロでないのなら信じたい。
きっと、そう考えるのは私だけじゃないと思う。選手、スタッフ、ファンや選手の家族。皆に共通の思いのはず。
けれど、今日目にしたJTに関する情報はどこも「解散」「廃部」の文字ばかりだった。

東北には応援しているチームが結構多い。七十七銀行、TDK、JR東日本東北、そしてJT…。
皆同じ地区のチームなので予選の段階からぶつかり合うのがもったいないといつも思う。
JTには、別の応援している選手がきっかけで注目していた選手がいる。
スポニチ大会で大ガスと対戦したときは西武ドームまで見に行ってスコアをつけた。
去年は都市対抗の時に泊まったホテルが同じで、ロビーで選手の集団に遭遇して朝からビビった。
家にはいつぞやの都市対抗でもらったJTのうちわがある。チームカラーのグリーンが目に鮮やか。
そんなこんなで、何気に縁?のあるチームなのだ。

来季限りということで、あと1年ある。
2年前、都市対抗で優勝しながらその年の秋に突然休部となった河合楽器を思えば…
都市対抗、日本選手権といった大きな大会にもそれぞれあと1回ずつチャンスが残されている。
チームがなくなるという運命は変えられないとしても、人々に強い記憶を刻みつけることはできる。

有終の美、という言葉について考える。
きれいに大輪の花を咲かせられるとしたら、それはとてもカッコイイ。
夏のヒマワリのように。
けれど、その後に消えゆくものなら、まるで花火のようだとも思う。
パッと燃えて輝いて、すっと暗闇に散る。

来年、JTというチームが花火のように輝いて欲しいと思う。
あと1年。花火のように明るく夜空を彩って。
花は、ドライフラワーや押し花にして形を残すことができる。
花火にはそれができない。
でも、だからこそ、私たちは一瞬のきらめきを強くまぶたに焼き付けてやるんだ。
(2003/09/12)


世代交代
8月22日(「明日に希望を見出して」)に書いたことと矛盾するかもしれないけどね。
台頭してくる若手も、チームを支え続けてきたベテランもどっちも大好きなんだー!と叫んでみる。
(2003/09/13)


醍醐味
優勝の喜びと、V逸の悔しさ、来季こそは!という想い。
これは毎年毎年無限ループで繰り返されることで、だからこそファンを続けていられるんだと思う。
恵まれた常勝チームでは面白くない。
毎日、勝ったり負けたりするから応援のし甲斐があるんだ、と。
チームにも、選手個人にも、調子の波があって、上がったり下がったり。
それを見守っていくのも野球のリーグ戦の醍醐味の一つ。
(2003/09/15)


あの頃のように
私たちはずっと、幻を追い求めていたのだろうか。


伊藤智仁、32歳。
彼が衝撃的なデビューを果たし新人王を獲得した93年のことを、私はほとんど覚えていない。
後から伝説のように何度も何度も聞くだけだった。

伝説の高速スライダーを投げている映像を、この間初めて見た。
この軌道をリアルタイムで瞼に焼き付けていたら、私はもっと早くから熱狂的なヤクルトファンになっていただろう。
彼の全盛期は、そう呼ぶにはあまりにも短い期間だった。

プロ野球に在籍した11年間。その半分以上をケガとの戦いに費やした。
もう一度、あの頃のようなスライダーを投げるために…
ファンも、球団もチームメイトも、そして何より本人がそれを望んでいたはずだ。

昨年の10月、自身の進退を賭けてコスモスリーグに登板した彼はわずか9球を投げただけでマウンドを降りた。
いや、正確に言うと降りざるを得なかったのだ。
右肩亜脱臼だった。そのニュースを聞いたファンの頭に、もうダメか…の思いがよぎる。
しかし、それでも伊藤は現役続行にこだわった。
2002年の暮れも押し迫る頃、8000万の年俸を1000万に下げられてまでもユニホームを着ることを選択した。

この2年間はファームでも登板することすらなく、他球団ならとっくに解雇されていてもおかしくない。
亜脱臼から1年。今月26日、コスモスリーグが今年初めての登板だった。
この日の直球のMAXは109km/h。とてもプロ野球選手のものとは思えない数字だ。
打者3人に対し2四球。投球数17。
この17球が、彼の現役最後の登板となった。

今日、正式に引退を表明し、記者会見ではすっきりした表情も見せたという。
太く短いプロ野球人生にピリオドを打ち、彼のスライダーは今本当に伝説のものとなった。

今後は二軍のトレーニングコーチとして後進の指導にあたる。
彼の指導を受けて、今後また伝説のスライダーを投げる投手が現れるかもしれない。
逆に、もうニ度とそんな投手は出てこないかもしれない。

あの頃のように、と伊藤やファンやチームメイトが求めたものは幻だったのか。
幻と呼ぶにはあまりに鮮烈すぎる。
スライダーの軌道は今も見た人々の胸に刻まれている。思い出すのにせつない痛みを伴って。


時計の針が午前0時を回り、日付が変わる。10月30日――伊藤は、33歳の誕生日を迎えた。
(2003/10/29)


いつか
夏に感じていた不安が現実のものとなってしまった。
虫の知らせというのだろうか。ふと気になって部のHPを見に行き、名簿に名前があるのを確認して安心したのは先週のことだった。
こんな予感など当たってほしくないのに。

いつか必ず来る日。
その日がやって来ることに怯え、恐れ、一日でもそれが先になるよう願っている。
野球を好きになり、深く知るようになって、喜びと引き換えに得たもの。
それが引退への恐怖と覚悟だった。

高校・大学・社会人と応援して来た選手が、現役としてのユニホームを脱ぐ。
いつかその日が来るとわかっていながら、私はやっぱりどこかで「まだ先のことだ」とタカをくくっていた気がする。
そんな日など来ないと、ウソでも思っていたかった。ずっとずっと。

いざ引退という事実に直面してみると、自分は思っていたより冷静だった。
いや…夏に何かを感じ取っていたから、冷静でいられたのかもしれない。

初めてプレーする姿を見たのはまだ寒い春。マスク越しに見た笑顔が印象的だった。
高校最後の夏の試合の光景、今も覚えている。最終回に見せた反撃の2点タイムリー。見てわんわん泣いた。
大学初ヒット、初盗塁。優勝して喜ぶ姿、負けて悔しがる姿。
甲子園、神宮、そして東京ドーム…活躍の場もユニホームも変わり、その度にそれを見に行った7年間。
夏に見たフェンス越しの背中。あれが、私が最後に現役選手として見たユニホーム姿。

頭は冷静だけど、その代わりに言葉が出て来ない。
胸の中でじっと詰まっているモヤモヤした思い。
喉元辺りまで出かかってはそこで張り付いて止まり、また戻って行く。言葉とも涙ともつかないココロの一部。
これをうまく吐き出せたなら、気持ちは楽になれるのに。

現役は引退したが、チームに残り、コーチとして新しいスタートを切るという。
今までとは少し違う形で野球に携わっていくその姿も、変わらず応援していきたい。
新しい道を進むその背中を見つめて。
(2003/11/22)


2003年野球納め
今日の社会人野球日本選手権決勝で、国内の野球の試合(公式戦)は年内最後。今年の「野球納め」。
大阪ガスと日産自動車が対戦した決勝戦は、その「野球納め」にふさわしい試合となった。

試合開始は13時。でもNHKで中継が始まるのは14時。
14時まではドキドキしながらPCの速報で見守り、14時からはTVの前で正座して観戦(笑)。
大ガス先発が坂本さんでちょっとびっくり。てっきり山田幸さんだと思ってた。
一気に4点取られたときはどうなるかと思ったけど、その後の澤多さんの逆転タイムリー2ベースにはしびれた!ステキすぎ!

坂本さん・建山くんの後を受け5回から登板したのは、なんと昨日先発だった能見くん。連投だけど大丈夫?
しかしそんな心配など全くの杞憂で、素晴らしいピッチングを展開。
私は能見くんの投げてるとこ見たの初めてだったけど、かなり良かった!
これだけいいピッチングできるのにどうして今まで出て来れなかったのか、不思議なくらい。
7回のピンチも最後は三振で切り抜けた。これまたかなりしびれた場面。

好投を続ける能見くんだったけど、8回裏二死から同点ソロを浴び、試合は延長へ。
延長11回、最後は伊藤さんにサヨナラ打を打たれ、大ガス悲願の初優勝はならなかった。
だけど、敗れたものの試合後は不思議と清々しい思いがあふれた。
能見くんが打たれて負けたのだから、悔いはない。
素晴らしいピッチングを見せてくれてありがとう。
来年も大ガスを応援するのが楽しみになった。

日産は、ベンチに小澤くんの遺影とユニホームを飾って今大会に臨んだ。
歓喜の胴上げの様子は、きっと彼も上から見ていただろう。
監督がインタビューで「いい試合ができてよかった」と言っていた。
その思いは、球場で、あるいはTV中継やネット速報を通じて見ていた観客も同じ。
本当に、今年の最後を飾るにふさわしいナイスゲームだった。
こんないい試合を見せてくれた選手たちに感謝。

来年もこんな試合を何度も見たい。
泣いたり笑ったりしながらグラウンドを見つめたい。
大切な仲間たちとともに。

これからしばしのお休みを経て、来年の春にまた会いましょう。
親愛なる野球の神様。
(2003/11/30)


もうすぐ冬至
プロ野球はちょうど今、契約更改の盛んな時期です。
同期の選手(同い年の選手&彼らと入団年が一緒の選手)たちの更改情報はちょっと気になります。
上がった人、下がった人、現状維持の人…
入団当初はほぼ一緒だったはずなのに、少しずつ個人差が開いてきつつあるのがちょっとせつないかな。
(2003/12/11)


To be
大安だから、プロ野球の入団発表が何チームも重なった一日。
新しいユニホームに袖を通した姿を見てると、いよいよプロ野球選手になるんだなぁって。
自分の同期の選手たちが入るときとはまた違う感慨みたいなものを感じながら画面を見てた。

見る人全てを魅了するプロ野球選手になってほしい。
スタジアムの星となれるように。
新しい門出を迎えた者へ、大きな期待を込めて。
(2003/12/12)


同じ星
いいものはいい。そこにメジャーもマイナーも地味も派手もない。
1等星も6等星も、明るさこそ違えど自ら光を放っているということは変わらない、どちらも同じ星なんだ。
(2003/12/16)


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