〜夏の終わりに〜

遠征記でいっぱいいろんなことを書いてきましたが、それでもまだ載せきれなかったこぼれ話などをいくつか。

OB選手たちとの遭遇
スポ時代お世話になった選手たちが何人か都市対抗に出ていました。
その試合を見に行くと、応援に来ていた他のOB選手にも会いました。

最初に会ったのは、3つ上のKさん。
かつて一緒にクリーンアップを組んでいた同期の選手の応援に来ていました。
試合後に球場の前で見かけたのですが、実は私はKさんと話したことはほとんどありません。
が、Kさんを見かけた瞬間、私は何を思ったのかフラフラと彼に近付いて行き
気付いたら「あのー、Kさんですよね?」と単刀直入に話しかけていました(爆)
面識ないに等しいのに何やってんだ私!と声をかけてから我に返ったものの、時既に遅し。
しかも、スポだったと言っても実際取材を担当してたわけじゃないので、説明してもイマイチ説得力ない…
明らかに不審者です私。それでも話をしてくれたKさん、いきなり失礼しました。そしてありがとうございました。
ちなみに、卒業時の話では硬式野球は断念したという風に聞いていたのですが、
今回聞いたところ、現在はクラブチームでまたプレーしているとのこと。
それを知ってなんだかすごく嬉しくなりました。ちなみに同じチームには他にもOBがいます。
お会いしてから10日ほど後に、クラブチーム選手権(全国大会)へ出場していました。

次に会ったのが、私の同期の主将くん。
なんとなく今年は見に来てるんじゃないかなーと思っていたのですが、やっぱり実際会うとビックリしますね。
彼とは球場の中で会いました。最初、遠目に姿を見て「ねぇ、あれって○○くんじゃない?」と言ったけど
横にいたせつないは「え?どの人ですか?遠くてわかんないですよー」
もう一度見て「…いや、絶対あの顔は○○くんだよ!もっと近くまで行って確かめてくる!」と突撃した私。
やっぱり本人でした。同期で副将だったHくんの試合を見るために球場内をウロウロしてたとこらしい。
こちらは前述のKさんとは違い、同い年なので面識があります。なので普通に話せました。覚えててくれてよかった。
んで、話してるときに「これからSに電話するんだ」みたいなことを言うではないですか。
その後さらに同期のSくんも現れ、二人は一緒にHくんのチームの試合見てました。

卒業して、皆あちこちバラバラになり、それぞれがそれぞれの新しい生活を送っている。
ともすれば、自分がかつていた場所のことすら忘れそうになるときもあるかもしれないけど。
でも、こんな風に時々思い出して、仲間に会いにやってくる。
そんなさりげない絆を、いいなぁと思った夏の日。




旅に不可欠なもの
私が旅に出かけると、なぜかその先でよくシャンプー類をもらいます。
たまたま通りがかったところで、新しいシャンプーなどの試供品を配っているのです。
そんなのよくあるじゃん、と言われそうですが、普段はなぜか遭遇しません。
旅先でだけやたらと遭遇するのです。
前に高知へ行ったときは高知駅前でヴィ○ルサスーンのシャンプー&コンディショナーをもらいました。
この前は半蔵門線へ向かう地下通路でナ○ーブのボディソープをget。
そして今回は渋谷駅前でパン○ーンのシャンプー&コンディショナー(発売前で商品名が秘密だったが)

旅行にはシャンプーとか必要だから、行った先で手に入るのはラッキーじゃない?と思う方。
私がもらうのはなぜかいつも旅行の最終日なんです。意味ねー…。




ドンくんといっしょ
Yちゃんの家では、犬を飼っています。名前はドン。
このドンくん、家族以外の人が来ると吠えます。
え、犬だから当たり前だって?
でも、玄関入ってすぐ、足音で家族かそれ以外の人か判別がつくのはすごいと思いました。
私たちが帰ってきたときは吠えるのに、Yちゃんのお父さんが帰ってきたときは吠えないの。賢い。
うちの近所のマリー(「I like…」参照)なんて誰にでもしっぽ振ってますよ(笑)

で、ドンは吠えるけどよくこちらに遊びにやってくるんですね。
私も犬好きなんで、吠えられながらも頭をなでたりしていました。
でもやっぱり吠えるんだよね…(:_;)
幾度となく吠えられて2日間を過ごしました。
が。
3日目、Yちゃんの家を出る朝のこと。
朝起きてドンと顔を合わせても、吠えないではありませんか!
「ドンが吠えなくなった!」
Yちゃん一家も驚き。
どうやら2日一緒にいてちょっと慣れてくれた模様。嬉しかった〜。
「私、ドンに認められたのね!」って感じで(笑)
ドン、また遊びに行くからね〜♪(でもその時はまた吠えられるかな?)




久保カントク
25日、都市対抗を見に行ったときのこと。
ネット裏で大ガス戦を見ていたのですが、意外な人物に遭遇しました。
鹿児島実業高校野球部の久保克之監督(現在は部長兼総監督)。
最初は「似てるけど、まさかね…」と思ってたのですが、いろいろな人から挨拶されてるのを見て「やっぱ久保さんだ!」

都市対抗のガイドブックを見てみると、この日は「鹿実OBデー」でした。
まず、遠征記本編でも書いた俣瀬&味園コンビの大阪ガス。ここにはもう一人、内野手の小倉くんもいます。
それから、第2試合に登場する三菱重工名古屋には池田・本多の両内野手。
さらに第3試合の東邦ガスには俣瀬・味園と同期の西さんをはじめ、坂下、星隈、塚田に本村…と
なんと5人もの鹿実OBがいるではありませんか!
なるほど、それで久保監督もわざわざ観戦のために上京してきたのですね。

しかし、組合せの偶然とはいえ一日にここまで集まるとは…
私はこの日第2試合まで見て退出したのですが、久保さんは最後まで見て帰ったのでしょう。
いくらドームのネット裏がふかふかの椅子でも、一日中座って見てるのはキツかったと思います。
でも、教え子たちが社会人でも頑張ってる姿をこんなに一度に見ることができて、
指導者としては嬉しかったかもしれません。

ちなみに、その翌日は同じくOBの林川くん(三菱自動車岡崎)、下窪くん(日本通運)の試合があったのですが
久保さんはそれも見に行ったのでしょうか…?




Baseball Kids
社会人野球を見に行くと、選手のご家族も応援に来ています。
そこでよく見かけるのが、小さなレプリカユニホームを着た子供たち。
まだ自分で歩くのもままならないような小さな子たちが着ているのは、チームと同じデザインのユニホーム。
背中にはパパの背番号。でもその上にはローマ字でその子の名前が入っています。
球場でそんなレプリカユニ姿の小さい子を見ると可愛くてつい微笑んでしまいます。
まだ小さくて、今は自分が何を着ているかもよくわかってないかも知れないけど、
大きくなったときに写真を見たらきっといい思い出になっていることでしょう。
自分の父親が野球選手だったんだ、って証でもあります。

大ガスの初戦を見ていたときのこと。
味園選手が代打で登場したので「おお!」と思って写真を撮ろうとしていたら、
近くにもう一人、同じようにカメラを向けている人がいました。
正確に言うと、その人が持っていたのはビデオカメラ。
とても嬉しそうにグラウンドを見ていたその女性は、どうやら味園選手の奥さんのようです。
なぜわかったのかというと――
その隣には御両親らしき夫婦もいて、お二人が味園さんに似ていたこと。
そして、その味園さんのお母さんと思われる人が抱いていた赤ちゃんがこれまた味園さんにそっくりだったからです。
もう少し大きくなったら、あの子もレプリカユニを着て応援に行くようになるのかな。

ちなみに、その「味園ファミリー」に気付いたとき、そのすぐ前に座っていたのが久保監督だったのです。




こぼれ写真集




↑で話題に出たばかりの味園選手。
山田投手のキャッチボール相手をしているところ。
背番号36。




味園さんをもう一枚。
これが本職のキャッチャー姿!



都市対抗10年連続出場。
日本生命では今年2人が表彰されました。
竹間さんと内藤さん。
おめでとうございます!




小澤くんのこと
この遠征記中で触れるべきかどうか迷っていたのですが、
書き留めてより多くの人の目に触れることで何か意味があるかも知れない…と思い追記します。

日産自動車の野球部に、小澤裕昭という投手がいました。
97年夏に甲府工のエースとして甲子園出場。卒業後は日大に進み神宮のマウンドも経験。
昨年からは社会人の強豪・日産に入り、更なる飛躍を目指している途中でした。

8月27日。朝会ったときにYちゃんがぽつんとつぶやくように教えてくれたのでした。
「小澤くんがね、亡くなったの…」
え?という感じでした。それこそまさに青天の霹靂(へきれき)というやつ。
風邪の菌が心臓に入り、肺に水がたまって心臓を圧迫するという病気。
7月中旬に倒れ、そのまま入院。そして8月24日、心筋炎で帰らぬ人となったのです。
「ちょうど今日、告別式が行われているところだと思う…」
告別式は山梨の実家で行われ、出棺後、車はかつて彼がプレーした地元のグラウンドの前を通って斎場へ向かったそうです。

小澤くんと直接話をしたことはありません。
甲府工時代の姿をTVで見ていて、日産に入ってから「あ、あのときの甲府工の…」と気付きました。
まだ24歳。これから先もっと、見る人を魅了するプレーヤーに成長していたかもしれない。
けれどその前に彼の姿はグラウンドから消えてしまいました。あまりにも突然に。

野球をやってる人は健康だ、というイメージがあります。
日に焼けて、腕には逞しい筋肉がついていて、ケガこそあれど、およそ病気とは縁がなさそうな。
けれど、それが勝手なイメージであり、実際には病気に悩まされている人、苦しみながら克服した人もいるのだということ。
小澤くんの訃報でその事実を目の前に突き付けられました。
だけど、小澤くんもついこの間までは健康に不安などなく、元気に野球をやっていたのだと思うと…

日産は6月の予選で敗れ、都市対抗出場を逃していました。
7年ぶりに日産のユニホームが消えた真夏の祭典。その熱戦の最中に小澤くんはこの世を去りました。

そして秋。日産は、11月に大阪ドームで行われる日本選手権への切符を手にしました。
選手たちがこのことを真っ先に報告したいのは小澤くんだったのではないでしょうか。

スポーツ競技は本来、誰のためでもなく自分自身のためにやるものだと思います。
だけど、時には他の誰かに伝えたいと思う勝利がある。
小澤くんには間違いなく日産の皆の頑張りが届いているはずです。


小澤くんのご冥福を心からお祈りします。
もう彼のピッチングは見られないけど、忘れずに記憶に留めていきたいと思っています。
この夏まで確かに小澤裕昭という選手がいたことを。




2003年、夏。
夏は、一番好きな季節です。
自分の生まれた季節だからっていうのもあるし、野球の盛んな時期だという理由でも。

毎年夏が来るとウキウキして何かしら楽しい気分で日々を過ごし、
夏の終わりにはしゅーんと寂しくなります。

甲子園の高校野球が終わり、残り少ない夏を追いかけてこの遠征に出ました。
ドームに神宮、果ては日吉まで。文字通り、野球にどっぷり浸かった数日間でした。

野球を見るだけでなく、久しぶりにいろんな人と会えて楽しかったです。
何かと思い出に残る夏になりました。
どこがどう、というのは実際会った人、そしてこの遠征記を読んでくれた人なら
きっとわかってくれると思います。

思い出というのは、自分一人じゃ作れないもの。
私のこの夏の思い出も、いろんな人たちのおかげで作れました。
今回会ってくれた人、会えなくて「また今度」と言った人、
いろいろと都合をつけてくれた人、メールをくれた人…
みんな本当にありがとう。お世話になりました。

秋から冬に変わる頃、またふらりと遠征します。
たぶん今度は「2003年野球納め」にね(笑)

そういうことで、11月に会いましょう。





最後は重工ビーバーくんのベストショットで…
2003夏の遠征記、これにて終了☆




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