たった一つの出会いが人生を変えることだってあるから、
偶然でも必然でも、出会えたことに感謝したい。


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初めて大阪ガスの試合を見に行ったときのことを今でも覚えています。
ずっとTVや新聞、雑誌でしか見たことがなかった俣瀬さんを、都市対抗で初めて生で見ました。
野球を好きになったきっかけ、いわば私にとって“原点”とも言うべき選手が目の前にいる。
感動とか感慨という言葉で表すよりは、なんだか不思議な感じすらして、
ただひたすら背番号1のプレーを見つめていたのでした。

早いもので、それからもう5年経ちました。
この夏、大阪ガスは8年ぶりに都市対抗出場を逃しました。
俣瀬さんはデュプロの補強選手に選ばれ、個人としてはドーム行きを果たしました。
他チームからも戦力として必要とされたことが、応援するファンとして嬉しかったです。
ただ、見慣れない背番号29のユニフォーム姿に「やっぱり大ガスのユニフォームで見たい」とも思いました。

そして秋、日本選手権。
夏の分まで大ガスナインを見たくて、初めて大阪ドームへ行きました。
初戦、背番号1はいつものようにスタメンに名を連ねていました。
これまで私が見てきた試合と何も変わらない光景。
そしてそれは来シーズンも変わらないものだと思っていました。

日本選手権が終わって数日後…
俣瀬さんをはじめとする4選手の退部の話を聞いたのが11月の終わりでした。
最初に聞いたときは信じられなかったし、事実だとわかった今でもまだ信じがたい気持ちがあります。
選手権で見たあの試合が最後だったとはどうしても思えなくて、
また来年の春になったら背番号1の姿が普通にグラウンドにあるんじゃないかって気がして…。

始まりがあるからこそ終わりもある。
いつか来ることと知りながらも、その日が永遠に来ないことを望んでいました。

73年組、と呼ばれる世代の選手たち。憧れであり、大好きな世代です。
中でも俣瀬さんは、私にとってその代の象徴ともいうべき選手。
欲を言うなら、いつまでもグラウンドで駆け回っている姿を見ていたかったというのが本音です。
だけど、それが無理だとしても、やっぱり憧れの存在であることに変わりはありません。
これから何年経っても、現役を続ける人たちの数がどれだけ少なくなっても。

5年前の夏、最初は“俣瀬さんを見るために”大阪ガスの試合へ足を運んだ私ですが、
今は“大阪ガスの皆を応援するために”試合を見に行くようになっています。
思えばあの時―1991年夏―、俣瀬直樹という選手を知らなかったら、
今こうして大阪ガスを応援している自分はいなかったのではないかと思うし、
そもそもこんなに野球を好きになっていたかもわかりません。

今の私の人生につながる、最初のきっかけを与えてくれた人。
試合のプレーでの感動や興奮だけでなく、それ以上のものも沢山もらったなって思います。
どれだけ感謝の言葉を口にしても足りないけれど、
俣瀬さん、本当に本当にありがとうございました。
最初に俣瀬さんを知ってから14年。
野球を好きになって、こうやって応援することができて、楽しかったです。
どうか新天地でも頑張って下さい。ご活躍を心から願っています。


2005年12月31日