0か1か
― 運命の扉が開く日―


人が、己の人生を左右するような運命の扉というものに対面したとき。
その扉の鍵をもらい、自分の手ですんなり開けてスイスイと先へ進めるとしたならそれは幸せなことだろう。
けれど世の中、そんな風にうまく歩ける人ばかりではない。
体当たりでぶつかって扉をこじ開ける人もいるだろうし、できるだけの支度を整えてからノックをして、扉が開くことを待ってみる人だっているはずだ。



2003年11月18日深夜―正確には19日未明―、私は眠れずにいた。
眠れずに、徒然なるまま日記のようなものを記した。
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「ドラフト前夜」

今年は平気かと思ったんだけど、やっぱり緊張してきた。
自由枠で決まってる子たちはいい。指名がほぼ確定してる子もいい。
問題は、それ以外の人たち。そういう人たちのこと考えはじめると止まんない。特に気になってるのが、よっすぃーのこと。
彼は今、大きな賭けをしている。一般企業への就職をやめ、一転してのプロ志望表明。明日、指名がなかったらそこで野球は断念するという。
社会人野球という保険すらなく、こんな風に大きな賭けに出る選手も最近では珍しい。
すっぱり辞めるか、新たな一歩を踏み出すか。一か八か、ではなく0か1かの賭け。

指名されてもプロで花開くかはやってみないとわからない。
それがわかってるから決して安易な気持ちで応援もできないけど、できるなら、どうか彼にチャンスを下さい。

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「よっすぃー」というのは、早稲田大学の外野手、由田慎太郎のこと。私が勝手に呼んでいるあだ名だ。
彼の進路については、一般企業への就職で、野球は断念するという話を夏に聞いていた。「辞めてしまうの、もったいないね」と友人と話した覚えがある。
ところが、秋のリーグ戦が始まってしばらくすると、一転して「進路は未定だが、野球続行を希望」という話が舞い込んでくる。
あれれ?と思った。夏に聞いた話は、他の誰かの進路と混同された勘違いだったのかな?と。
(その後聞いた話では、やはり秋になってからの進路変更だったようだ)

とにもかくにも、「進路は未定だが野球は続行」という話が気になった。
おそらく、プロを目指すということなのだろう。
プロ志望の選手の大部分は、指名がなかった場合は社会人野球へ進む。言葉は悪いが、「保険」みたいなものだ。
だが由田にはその受け皿となる社会人チームがない。指名がなかったらどうするつもりなのか?
もちろん、社会人野球以外からでもプロ入りの道はある。
最近は海外リーグへ挑戦する選手も多いし、国内でトレーニングを続けながらプロテストを受けて合格する選手だっている。
運良くドラフト後でも目をかけて誘ってくれる社会人チームがあれば、そこでプレーができるかもしれない。
由田はそれらの中から一体どんな選択をするのだろう。


11月1日からの早慶戦で、早大は部史上初のリーグ戦4連覇をこれまた初の10戦全勝で飾った。
由田の選んだ答えが明らかになったのは、その早慶戦が終わった日のこと。
翌日の新聞に、早大から由田を含む4人がプロ志望を表明したという記事が載った。
記事は同時に「由田は指名されなかった場合は野球を断念し、来年、一般企業への就職活動をする予定」という事実も伝えていた。

早大の選手で由田以外にプロ表明をしたのは鳥谷敬、比嘉寿光、青木宣親の3人。
鳥谷はリーグ戦中から阪神入りが確実と言われ、その報道通り11月8日に自由獲得枠での入団が内定した。
また、比嘉と青木もそれぞれ広島・ヤクルトが上位で指名予定と以前から伝えられている。
プロ表明時点で行き先がほぼ決まっている3人に対し、由田だけがまだどこからも指名確約がなかった。

鳥谷の阪神入団が内定した前後、「阪神が指名候補に由田をリストアップしている」という話が伝わってきた。
チームメイトの鳥谷とともにタテジマに袖を通すのか?
しかしその話も一度持ち上がったきりで続報はなく、阪神指名の見込みは薄いように思われた。
今年指名がなければ、由田はユニホームを脱ぐことになる。
4年春に首位打者を獲得。最後の秋も打率3割を越え、打点はリーグトップ。
肩もいい。足に故障があると聞いたが、それでも早慶戦のあの三塁打を見て、特に問題なく走れると思うのは私が素人だからなのだろうか?
このまま辞めてしまうにはもったいない選手だ。そんなことになれば悲しむファンもあちこちにいるだろう。
ドラフト会議が直前に迫り、各メディアで「ドラフト候補特集」が組まれた。
由田の名は候補者リストに入っているものの、どこが指名有力、という話はなかなか聞こえてこない。
日付が変わり、もうドラフト当日になった深夜のスポーツニュースを見た。
鳥谷・比嘉・青木の3人が「入団内定&指名有力候補」として紹介されたが、由田の名は結局出ないまま、ドラフト前夜は更けていった。

ドラフト戦線は、当日ギリギリまで各球団の駆け引きがある。
メディアも、ギリギリまでその駆け引きを追う。
ヤキモキしながらこの2週間余りを過ごしたであろう由田ファンに希望の光が差したのは、前日18日の夕方のことだった。
オリックスの中村GMが「由田の指名を考えている」という情報が関西のラジオ番組で流れたらしい。
だが、私が実際その放送を聞いたわけではないし、まだ「指名確定」でもない。
全ては明日19日午後、野球の神のみぞ知る――そんな気持ちで私は眠りについた。…つこうとした。
が、結局なかなか眠れず、気を紛らすために冒頭のような日記を書いていた。
寝る前に見たあのTVのドラフト特集がいけなかった。
力強く野球を語る鳥谷の姿は頼もしかったが、同時に明日の由田のことが気がかりにもなった。

プロという世界の厳しさを考えれば、安易に「プロへ行ってほしい」と思っていいものか迷うことがある。
だけど、今回は日記に書いたように「彼にチャンスを」という気持ちが強かった。
この何年か、六大学からプロに進んだ選手たちを見てきたが、こんなに指名されるかどうかでヤキモキした選手は久しぶりだ。
最近は逆指名や自由獲得枠で入団を決める選手が多かったからだと思う。
それに、由田のような挑戦方法をとる選手がいなかったというのも事実だ。
先述したように、指名漏れしても大抵の選手は何らかの方法で野球を続ける。だが由田は今回ダメならすっぱり野球をあきらめるという。
野球を辞める=0か、プロで新しい一歩を踏み出す=1。そのどちらかしかない。
(無論、野球を辞めたからといって由田のこれまでの軌跡が無になったり評価されないというわけではないのだが)
挑戦するだけの能力があったからできることとはいえ、大きな勝負に打って出た由田を応援したいと思った。
そんなことを考えながら、ようやく眠りに引き込まれたのが明け方4時半頃だったろうか。
夜半から降り続く雨の音を聞きながらまどろんで行った。
夢かうつつかわからなくなりそうな浅い眠りの中で、新聞に躍る「由田」「指名」の文字を何度も見た気がする。

目が覚めると、雨は上がっていた。睡眠不足で重いまぶたをうっすら開け、時計を見る。7時だった。
浅い眠りをニ、三度繰り返しただけだったが、時計を見たら完全に目が覚めた。いつになくスッキリと布団から出る。
今朝のスポーツ紙の一部に「オリックス、早大・由田を指名」の文字が載っていることを知った。
起きる間際に見る夢は正夢になると聞いたことがある。
朝食用のトーストを焼きながら、ふと「由田は今朝、ちゃんと食事が喉を通っているだろうか」と思った。
思ってからちょっと笑ってしまった。そんなことまで心配になるなんて、これじゃまるで母親みたいだ。


11月19日、午後2時。新人選手選択会議…いわゆるドラフト会議が始まった。
もちろん多少の波乱はあったが、最初は各球団、だいたい予想されていた範囲での指名が進んでいったようだ。
自由獲得枠の鳥谷は会議の開始当初に名前が発表され、その後広島の3巡目で比嘉が、さらにヤクルトの4巡目で青木も予定通り指名を受けた。
やがて、横浜や広島など、早いところでは4、5人で選択を終了するところが出てきた。それに伴い、ウェーバーの巡りも少しずつ早くなってくる。
由田の指名が噂されるオリックスだが、5巡目…6巡目…由田の名はまだ出てこない。
7巡目で高校生の外野手が指名された。同ポジションだけに、もしやこれで由田の指名がなくなったのではないかと不安になる。
そして8巡目。ダイエーから始まる8球団がまだ選択権を残している。
ダイエー、西武、中日と指名していったところで、近鉄が選択終了を示した。次の巨人が指名した後、ロッテも選択終了を出す。
さらに続く日本ハムも選択終了で、あっという間にオリックスの8巡目となった。
が、そこで速報画面を更新するのが急に怖くなった。これをクリックした次の瞬間、モニターに映る文字は何だろう。そこに広がるのは喜び?それとも深い悲しみ?
何十秒かためらった後、息を詰めたまま更新ボタンを押した。

モニターの前に広がったのは安堵のため息だった。ふーっと、詰めていた息が体から抜けていく。
鼻の奥が少しツンとなって、涙が出て来そうになるのがわかった。
大きく息をする。吐いた分の息を吸うと、涙腺はそこで活動を止め、涙は目の縁に滲む程度でとどまった。

由田を一生懸命応援してる人のことが頭に浮かんだ。今頃、嬉しくて涙を流しているかもしれないと思った。
程なくして携帯電話のメール着信音が鳴る。別の友達からだった。嬉し泣きしている顔文字がそこにあった。
由田慎太郎、君のドラフト指名を喜んでいる人たちが日本中のあちこちにいるんだよ。
いつかそのことを知って、これから野球を続けるときの励みにしてほしい。


こうして、2003年のドラフト会議は幕を閉じた。
由田が指名されたのは午後3時36分。全12球団の指名選手、総勢71人の中で一番最後に名前を呼ばれたのだった。

今年の4年生は、私が神宮で見てきたと言える最後の代。
3年前の春、まだ着慣れぬ白いユニホームに初々しく身を包んでいた彼らも、いつの間にかとても大きくなっていた。
気付けばもう、それぞれが神宮を巣立ち、新天地へ向かおうとしている。
大勝負に出ていた由田にも、運命の扉が開かれた。
だが、あくまで扉が開かれただけで、これから先の道は、今よりもっと険しく曲がりくねったものかもしれない。
そんなことはきっと本人たちが一番わかっているのだろうけど、前を向いて歩き続けて行ってほしいと思わずにはいられない。
時にはきつくて立ち止まったり、後戻りしようかと思いながらでも。
歩いて行けば、雲ひとつない青空や、雨上がりの虹にも出会えるはずだから。


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今回のドラフトで指名された選手たちの今後の活躍、そして日本プロ野球の隆盛を願います。
11月19日、長い運命の一日を終えようとしている夜に。

※文中、由田選手をはじめとする選手の敬称は略しました。





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